「イエスの命と人間の好都合」3/17説教

3月17日説教 「イエスの命と人間の好都合」
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
ヨハネによる福音書11:45~53

 50節の言葉は、カイアファが「いまの体制が維持されるため、丸く収まるために、イエスが死ぬべき」だといった身勝手な言葉です。しかし51節と52節は「その背後には神の見えない導きがあった」ということを示しているのです。大祭司は本来なら、民の模範となって神の御心を聞き、それに従って生きるべき立場の人です。自分の都合を優先し、ことを丸く収めるなど言語道断です。しかし、当時の体制維持のために提案したカイアファの言葉が、その通り実現したのです。そして本人はそのつもりは全くなかったでしょうが「イエス・キリストの死の意味について」言い表すことになったのです。 52節にある「散らされている神の子」とは、イスラエルの民だけでなく、全ての人間という意味です。すべての人間は罪をもっています。カイアファの言葉のように「全体が滅んでしまう」そんな弱き者たちです。しかし、そんな人間たちを罪から救い出して一つにするために、イエスは死んでくださった。 カイアファの言葉の通りになった、彼の策略どおりに事は運んだ、そのように見える背後で神が働かれておられるのです。神は人間の罪や悪をもお用いになり、救いの計画を進められるお方なのです。