「世に遣わされる私たちの背後で」3/31説教

3月31日説教
「世に遣わされる私たちの背後で」
隅野瞳牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
聖書  ヨハネによる福音書17:15~26

 ●主イエスは十字架の前夜、御自分がすべての人に十字架を通して永遠の命を与え、御父の栄光が現されるよう願われました。主が与えられる永遠の命とは、唯一のまことの神と、神がお遣わしになったイエス・キリストを知ることです(3節)。「知る」とは、信頼しあっているお互いの関係に基づく全人格的交わりです。私たちが神と愛し合う関係にある時、神の喜びが自分の喜びとなり、結果的に自然に生き方が変わってきます。神を知ることは、御言葉に聞き従って生きることにおいていよいよ深められます。もっと御心を知りたい、主の喜ばれる者になりたいと願うようになります。
●続いて主は、神に属する者である弟子たちが、世にあってその使命を十分に果たせるように、真理の御言葉によって聖別し守ってくださるよう願います。「世」とは罪を持ち神に背く人間、その背後にある悪の働きです。しかし神は世を愛するゆえに御子を遣わし、その十字架において世を御自身と和解させ、救う道を開いてくださいました。神のかたち、本質であるキリストの犠牲によって、私たちは絶対に変わることのない真理である神を知り、聖め続けられます。私たちが困難を覚えつつも主に従おうとする姿を通して、周りにいる方が主に導かれ、信仰が支え励まされます(フィリピ1:21~25)。また、世を愛して御自身をおささげになった御子の愛を身をもって知り、主をあがめるのです。主がそこに立ち続けるようにと願っておられる戦いであるならば、そこにこそ神の助けがあり、栄光が表されます。
●主のとりなしはさらに、弟子たちを通して御自身を信じる人々に及びます。主はすべてのキリスト者が、御父と御子のごとく一つとなるように祈られました。この主の祈りはペンテコステに実現しました。弟子たちに聖霊が降った時、彼らは一つにされました。信じ救われた者は教会というキリストの体、命の内に入れられます。愛し合い一つとされていく時、私たちは相互に違いながら交わりをもって一つである、父・子・聖霊の神を宣べ伝えているのです。今も主は天にあって、私たちの背後で祈り続けてくださっています。各々が神の御心を真剣に求めて、自分の存在をかけて一歩踏み出す中に、すべての人が主の命に一つとされて、主の願われた救いの完成に向かう御業を拝する日が来るでしょう。