「イエス・キリストという名」12/22 隅野徹牧師

  12月22日説教 「イエス・キリストという名」(降誕前第1主日(クリスマス)礼拝)
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
聖書:ローマの信徒への手紙1:1~4

 皆様クリスマスおめでとうございます。メリークリスマスという言葉も「クリスマスおめでとう」と訳せる言葉です。 クリスマスの何がおめでたいのか…世間では、そこを深く考えることがないですが、今日私たちは「クリスマスがおめでたい理由について、聖書の言葉に聴きたいと願います。

 選んだ聖書の個所は、使徒パウロの代表的な「文書」である「ローマの信徒への手紙」の冒頭の部分です。 皆様聖書をお開きでしょうか?

 今回の個所の最初の1節と2節で2回出てくる言葉があります。それが「福音」という言葉です。

 「福音」は教会用語のような感じで、よく教会内で飛び交う言葉ですが…あまり意味を考えずに使われている言葉でもあると思うのです。

 福音は英語で「ゴスペル」という言葉です。この「ゴスペル」という言葉も独り歩きしている感がありますが、「グッドスペル」が変化したと言われています。つまり福音は「良い知らせ」という意味です。日本では「福音ということば」は、もともとなかった言葉のようです。日本より先に、中国で聖書が訳されたのですが、そこで「ゴスペル」を「福音」という言葉で訳したのだそうです。それを日本語訳の聖書でも用いたのです。

 その「良い知らせ」である「福音」とは一体何か…それが表れているのが今日の個所です。 まず1節と3節の一つ目の文をお読みします。

 この部分では「福音について」が2つのことが教えられています。一つ目は「使徒パウロ」は「福音を伝えるために」神から選ばれ、召されて使徒になったということです。そして二つ目は「福音とは神の御子、イエスキリストに関するもの」であることです。

 神の御子に関することが「喜ばしい知らせ」というところがミソなのです。

 この日本でもそうですが、世界中古今東西「神として崇められる存在は無数にあります。 人間を超えた存在として、不思議な力で働く存在として多くの物が「神」として信じられています。

 それらを大切にすれば御利益がある…というのも世界中に共通した教えです。 今日の聖書箇所である「ローマの信徒への手紙」が書かれたころのローマは世界中のいろんな宗教や文化が入り込み「御利益を得るためにはどの神を拝もうか」迷うような状態だったようです。できたばかりのローマの教会も、そういう価値観に流されることがあったようです。

 そのような中で、パウロははっきりと伝えるのです。「唯一で真実の神はイエス・キリストの父なる神だけだ」と!

 そして「神が私たちを愛して、罪から救い出したいゆえに、痛みを持って御自分の御子をこの世に送られたのだ」と!

 3節最初にでる「福音、つまり喜ばしき知らせは御子に関するもの」という言葉は簡単にスルーしてしまいそうな短い言葉ですが、実は意味深い言葉なのです。

 神は目には見えません。どんな方かわかりにくいですが、「御子をこの世に送られるお方」を聖書は神として示すのです。多くささげた人にご利益を与える神なのではなく、なにか「祟りをおこされたりする気まぐれな神」なのではなく、「大切な御子を、私たちのために差し出されるお方、この方が本当の神である」というところに「喜ばしい知らせ」があるのです。

 さて、今日の箇所の残った箇所では「神が御子を送られる」ということがどんなに「喜ばしい知らせ」であるのか、さらに深く教えられます。

まず2節3節を読みます。

 ここでわかること。それは「神がきまぐれのようにして突然、御子をこの世に送られたのではない」ということです。イザヤやエレミヤなどの預言者を通して、ずっと昔から約束されていたということです。

 その約束は預言者の時代に神が初めて考えられ、計画されたのかというと、そうではないのです。そうではなく、神が天地を創造されたときから「人間を救うご計画」は始まっていたと聖書は教えます。

3節の二つ目の文をご覧ください。

 「御子は肉によればダビデの子孫から生まれ…」とあります。これは神の御子が肉体をもった人間としてアブラハムやダビデの子孫である「ユダヤ民族の血をひくものとして」お生まれくださったことを示すものです。

 神は、特別な選びによって「アブラハム」を選び、その子孫を「救いの基」としてくださったのですが、それも「人間を救う計画」の一つなのです。

 その「アブラハムの子孫」さらに先に進んで「ダビデの子孫として」神の御子を誕生させてくださったのです。 それだけ「罪深く弱い人間を何とか救おう」と、神が大切に思われていることの証しです。まさに私たちにとっての「良き知らせ、喜ばしきしらせ」があるのです。

 最後に4節を味わって、クリスマス礼拝のメッセージを閉じます。

 ここでは、私たちを救うため100%人間になってくださった御子キリストは「100パーセント神であることは変わらなかった」ということです。

 神話や伝説、あるいは「一部の宗教」では、人間が神になるということが出てきます。逆に神が「神であることを捨てて人や動物になる」というのもよく出ます。 しかし御子キリストは違うのです。

 マリアのおなかに宿られたときも「神である」ことが表れていましたし、大人になられてからなさった数々の奇跡にも「神としての姿」が表れています。そして何より、4節にあるように「十字架にかかって死なれた後、死の力を打ち破って復活なさった」ところに「力ある神」であることがはっきりとあらわされたのです。

 こんな栄光にあふれた「神であるお方キリスト」、この「神の御子」を、神は私たちを罪から救うために「私たちと同じ人間として生まれさせてくださった」のです。「肉体をもった100%の人間として、大切な御子を送ってくださる。それが神の真実だ」

 それが良い知らせでなくて、何が良い知らせでしょうか。

 世の中でよい知らせとされるもの…それは「お金がもうかった」とか「良い学校に入れた」とか「よい就職ができた」といった類のものでしょう。応援しているスポーツのチームや選手が勝つというのも、世の中でいう「よいニュース」でしょう

 もちろん私もそういうニュースが嬉しいときがあります。

 しかし、「一番うれしい知らせとは何か」それをはっきりと心に刻みたいと願います。 それは私たちの命の造り主である「神が、私たちを愛しておられる、大切にしてくださる」ということです。 それは大切な御子をわざわざこの世に送って罪から救おうとなさるほど!なのです…それだけ愛してくださっているのです。

 このことをクリスマスの今、はっきりと心に刻みましょう。