1月29日説教

「本気で礼拝」
<聖書>マタイによる福音書21:12~16
海老原道宣牧師(日本基督教団 岩国東教会)

イエスがもっとも感情をあらわにした場面の一つが、マタイ21:12〜16「わたしの家は祈りの家と呼ばれるべきである」でしょう。イエスにとってどれだけ大切なことだったかということが分かります。それまでの神殿の在り方に怒り、新たな神殿の在り方を示したともいえます。当時、弱いものとされた人たちがイエスを受け入れました。弱い彼らだからこそ、イエスの行動を受け入れられたのかもしれません。しかし、暴れたイエスの思いを受け入れ、イエスを求めた場面とも言えます。神殿とは、わたしたちにとっては教会でしょう。ここに神が“神の住まい”だとは考えなくても、わたしたちが集い、神に向かって礼拝を献げる大切な場所です。礼拝はどこでもできます。だれとでもできます。とはいえ、やはり、建物としての教会も大事です。建物があるからわたしたちはこうして集まることができる、大切な務めをなして行くことができます。教会、建物の大切さも分かる、だからこそ、私たちは常に自らに問いかけないといけません。ここは“祈りの家”となっているのか。この箇所はわたしたちに問いかけます。何のためにこの場所はあるのかと。教会に集ったわたしたち一人一人が、生き生きと心からの祈りを、礼拝をささげることができるように。そのことを神に感謝することができるように共に歩みましょう。