10月28日説教

10月28日説教
主よ、祈りを教えてください
隅野瞳牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
聖書  ルカによる福音書11:1~4

●主イエスは弟子たちの求めに応え、天地万物の主に「父よ」と呼びかけて祈るように教えられました。ルカ15:11~32では神が破格の愛を注ぐ父、私たちが父のもとから離れて放蕩のすえ戻ってくる息子に例えられます。神に向かって「父よ」と呼びかけられるのは御子お一人で、罪人である私たちがそうお呼びするなど、本来あり得ないことです。しかし主が十字架で私たちの罪を贖い、御父との親しい交わりに回復させてくださいました。十字架の苦しみのただ中でも「父よ」と叫ばれた御子のような信頼をいただきたく願います(ルカ22:42,23:34,23:46)。私たちは父なる神の御名が聖とされ、小さな私を通して神のご栄光が現されるよう祈ります。また再臨によって神の国が完成するように、福音がさらに宣べ伝えられ、1人でも多くの方が神の愛のご支配に生きるよう用いてくださいと祈ります。
●主は次に、「わたしたち」の必要のために祈るよう教えられました。誰かの言葉や姿を通して私たちは主を信じて教会に加えられ、祈り合い、喜びも試練も共にしながら信仰の旅路を歩みます。また私たちは、祈りを必要としている方に代わって祈ることができます。この祈りは神の恵みに感謝してそれを分かち合い、神に信頼して歩む信仰に導き、貪欲から守ってくれます。荒れ野の40年間、神は日毎にマナとうずらを備えてイスラエルを養われました。御言葉に従って集めると、全ての者がちょうど必要な分だけ得ることができました。信仰は、生活の中で具体的に主に従うことでもあるのです。
●私たちは神に対して罪の負債を日々増し加え、自分の力では到底返済することができませんが、ただ主の憐れみと犠牲によって赦しを受けました。その恵みは隣人の罪を赦す歩みへと導きます。隣人を赦すことに困難を感じる時にもこの祈りを通して、神が私たちを赦せる者に変えてくださると信じます。赦しは自然にできることではなく真剣な霊的戦いであり、神の賜物です。罪なき主イエスはこう祈る必要がありませんでしたが、罪人の一人として数えられ、私たちが神の命に生きるために不可欠なこの祈りを共に祈ってくださいます。最後に肉体的、精神的、信仰において誘惑に遭わせないでくださいと祈ります。悪魔の狡猾さに自分で立ち向かうのではなく、主の助けを願い、誘惑への接触を避け、信頼のおける信仰の友に祈ってもらいましょう。自分のことばかり求めてしまう私たちに気付いた時は「主よ、わたしたちに祈りを教えてください。」と、まず私のうちにこの祈りが実現するよう求めましょう。