12月24日 説教

「キリストと出会ったならば」
<聖書>使徒言行録9:1~19
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)

光として現れたキリストに出会う前、サウロは「信仰深さと律法の知識」という自分の力を誇りとしてきました。しかしその「自分の力」が全く頼りにならないこと、そして彼が見えていると思っていたものが、実は見えてはいなかったことをキリストとの出会いで知らされたのでした。しかし自分の無力さにと気づかされた時、逆にサウロはキリストに迎え入れられ、神のためのご用をする「新しい生き方」に変えられたのです。
栄光に満ちた神の独り子なのに、わざわざ罪深い、この世に、人間の赤ちゃんとなってきてくださった方であるイエス・キリスト。しかも生まれられた場所は汚い家畜小屋。そして人類史上類を見ない「残虐な刑である」十字架に何も罪を犯されなかったのにかかって「死んでくださった」イエス・キリスト。しかし、むごたらしく殺されただけで終わられず、死に勝利され、復活され、今は天の上で私たちを見守り、導かれているイエス・キリスト。 このお方が私たちに会いに来てくださるのです。
キリストと会う時、私たちは「罪にまみれた、弱く力のない、本当の自分の姿」を示されます。そして「救い主、イエス・キリストの助けなしには生きていけないこと」を受け入れ、そして新しい生き方へと変えられる。そういうサウロのような変化が起こるのです。