12月3日 説教

「すべての民にもたらされる救い」
<聖書>イザヤ書56:1~8
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)

紀元前500年ごろの神からの預言が記されているのが今回の聖書箇所です。異邦人や宦官を礼拝の共同体に招かれることが、とくに7節の「聖なるわたしの山に導き、わたしの祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す」という言葉。その次の「焼き尽くすささげものと、いけにえをささげるなら、私の祭壇で、私はそれを受け入れる」という御言葉から見て取れます。これらの言葉には、神が、イスラエルの人々だけにとどまらず、救いの門戸を広く開いて下さるという恵みが示されているからです。
とくに7節の最後の「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」という言葉が重要です。この意味は、全ての時代の信仰者にとって大切な意味があります。なぜなら神さまは、「すべての民の祈りの場」を与えてくださったことが分かるからです。それが「教会の礼拝」なのです。私たちはこの意味を心に留めましょう。私たちは礼拝に神様の側から特別に招いていただいているのです。本来は神の前に出ることなど許されない、私たちが、特別に礼拝の恵みに与れている…そのことに感謝の思いを持ちましょう。