「多くの実を結ばせる一粒の麦」3/24説教 隅野徹牧師

 

3月24日説教 「多くの実を結ばせる一粒の麦」
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
ヨハネによる福音書12:12~26

 イエスがエルサレムに入城された時、熱狂して迎えた多くの人は、イエスが政治的指導者、支配者になることを望んでいました。しかし、それは「たとえローマ帝国を倒したとしても」、永遠に残る何かをもたらせるわけではないのです。この世的な栄光とは、本当ははかないのです。しかし一人の「イエス・キリスト」というお方が死なれる事によって、多くの人が罪から救われ、永遠の命に生きるようになったのです。つまり「多くの実が結んだ」のです。そして本当の意味で「神の栄光を表すこと」になったのです。
 25、26節では私たちも「一粒の麦として死んでくださったイエス」の歩みに倣うようにと教えられます。「この世的な栄光」を追い求めるのではなく、主を礼拝し、主に倣うことが永遠の命に至るために不可欠なのです。
 イエス・キリストが他ならぬ私のために、一粒の麦となって十字架にいのちを捨ててくださった、それを知っている私たちです。しかし、そこで歩みは留まってしまってはいないか顧みましょう。私のためにいのちを捨ててくださったイエスの十字架を仰ぎ、その恵みに感謝して、歩んでまいりましょう。