「復活にあずかり、神の子とされる希望」1/10隅野徹牧師

  1月10日説教 ・降誕節第4主日礼拝
「復活にあずかり、神の子とされる希望」
隅野徹牧師
聖書:ルカによる福音書20:27~40

説教は最下段からPDF参照・印刷、ダウンロードできます。

 先週の礼拝まで、クリスマスや年末年始で違う箇所を読みましたが、今週はその前に戻り、再びルカによる福音書からのメッセージに戻ります。

現在20章26節まで読み終わりました。イエスがエルサレムに入城され、いよいよ十字架に向けての歩みがいよいよカウントダウンに入っています。当時のイスラエルの宗教的指導者たちは、イエスを捕らえて抹殺しようしていたのですが、その攻撃がいよいよ強くなっていきます。

 今回の箇所は、宗教指導者たちの一派である「サドカイ派」に人々が、イエスに対し「罠にはめるような質問」をし、イエスから失言を引き出し、人々から反感を買うように企てるという場面です。

 それに対してイエスが答えておられるのですが、その答えの言葉が「ここを読む私達に対して、天国の希望、この世で死んでもそれで終わらない、永遠の命がある希望」を与えるのです。

 天国はどんな場所なのかとか、私たちは死んだらどうなるのか、ということについての完全な答えは私達人間には与えられません。しかし、神の言葉である聖書のいくつかの箇所には「天国がどんな場所なのか、そして天国にいって私達はどうなるのか」その答えが示されている箇所があります。今朝の聖書箇所も、そのような箇所の一つです。

 現代人は「死後の世界」について無関心だと言われてきました。それは科学技術の発達などにより「天生きるかで精一杯になっているから」だと言われます。しかし、コロナ禍となり、多くの人が「死後の世界」について真剣に考えるようになったと言われます。皆さんはいかがでしょうか?

 最近、私の周りでちょっとした話題となっているある本があります。それが「74歳、ないのはお金だけ。あとは全部揃っている」という「ペンネームミツコ」という女性牧師が書いたエッセイ本なのですが、神・キリストを信じ受け入れて「やがて天国に行ける」ということに希望を持つ生き方が「生き生きと!」描かれている本です。この「ミツコ牧師」が、自分の死について書いている部分が大変印象的なのでご紹介します。

「来年から後期高齢者になる74歳の今、将来に不安を感じることはありません。母や教会の高齢の方の姿を見て、人間はこんな風に老いていくんだな、と教えられました。

 クリスチャンの考え方では、私たちはこの世では旅人。生きているということは、天国へ向かっての旅の途中です。死は神様の元への旅立ち。終わりではなく、死は始まりと考えます…」

 ミツコ牧師が言う通り、死は終わりではなくて、新しい命の始まりだと聖書ははっきりと教えます。今朝の聖書箇所は、その「この地上での歩みを終えた後の新しい命」について私達にいくつかのことを教えます。

感染再拡大が大きなニュースとなってきた今朝、この聖書箇所を読む順番になったことは偶然ではないと感じます。皆様と一緒に、与えられた聖書箇所から「天国の希望、この世で死んでもそれで終わらない、永遠の命がある希望」を味わいたいと願います。

1節ずつ深めてまいりましょう。まず27節です。ご覧ください。

サドカイ派の人々が、貶めるためにイエスに近づいてきたことが分かります。サドカイ派とはどんな人々かというと、当時のイスラエルの「三大宗派の一つ」でしたが、特徴として「きわめて現実的な考えを重視する」ことが挙げられます。他の宗派の人々は「死後、神によって新しい命が与えられる」と教えていました。しかし、サドカイ派は「目の前の現実を生きていくか」を教えました。その一方、目に見えるものを重視するので、目に見えない「天国」別の言い方で「復活の命」を「証拠がない」などと考え認めなかったのです。

イエス・キリストは、それまでも「天国」「復活の命」を確かにあるものとして人々に語られていましたから。サドカイ派はイエスを論破して貶めたかったのでしょう。それで、彼らが「復活はない!いかに馬鹿馬鹿しいか!」と人々に説く時、「十八番のようにしていた話」をイエスに投げかけたのです。

その十八番の話が28節から33節です。この部分をご覧ください。

この質問の中で出てくる「たとえ」ですが、多産多死で、男女の人権が平等ではなく、結婚をし、家庭を持つことの主な目的が「子孫を残すためのもの」として考えられていた2千年前の時代の世の中を反映しています。ですから現代の私達にはいまいちピンとこない内容ですが…質問は大体次のようなものです。

ある一人の男性が、子が与えられないままに死にました。旧約聖書の掟によれば、このような場合「弟が兄嫁と結婚することで後継ぎが与えられるようにする」ことが教えられています。しかし7人いる弟たちが次々と兄嫁と結婚しましたが、皆後継ぎが生まれることなく死んでいったとします。そして最後にこの兄嫁も死んだなら、復活の時、つまり天国ではこの女は誰の妻になるのか?というものでした。

繰り返しになりますが、サドカイ派の人々は「復活があるはずはない」ということを証明するために、このばかばかしいとも思える極端なたとえの質問を考えたのです。

しかしイエスは、こんな人たちにも愛をもって答えられます。そしてこの答えは「復活がある」ということだけでなく、それ以上の大切な希望をしめしておられるのです。

それではイエスのお答えである34節~38節を見てまいりましょう。

返された答えは二つあります。一つ目が」34~36節、二つ目が37,38節です。

それでは先に「後ろの37,38節」から見ましょう。 ここでは現実主義者のサドカイ派の人々も尊敬していた「モーセ」と「神のやりとり」から、復活はある、天国はあるということを示しておられるのです。(※読んでみます)

ここでは、一言でいうなら「神の愛が、私達人間がこの地上を去ったあとも永遠に注がれること」が教えられるのです。37節で出てくる「柴の箇所」というのは出エジプト記3章6節のことです。

神がモーセを呼ばれ、召し出されるこの場面、神はモーセに対し「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」と仰った、そうこの聖書箇所に記されています。

モーセの父はすでに死に、当然イスラエル民族の父祖とされるアブラハム、その子イサク、さらにその子のヤコブは当然そのとき地上にいませんでした。人間の関係は、地上の死によって消えています。しかし、「神とそれぞれの人間との関係は永遠に続くのだということは、神ご自身がモーセに示している!」そうイエスはお答えになるのです。

38節は本当に深い意味を持つ言葉です。「神は死んでいる者ではなく生きている者の神なのだ。すべての人は神によって生きているからである」とは、私たち人間が地上を去った後も、神は私達の神でいて下さるということです。そして、神はすでにこの地上の旅路を終えたすべての人に対して今も働いて下さってくださる。そして命を与えて下さっているお方だということを示すものです。

冒頭に紹介した「ミツコ牧師」の言葉を、イエス・キリストご自身がはっきりと証明しておられるのではないでしょうか?。この地上を去ったときは終わりではなく、新しい命の始まりである!そのことに希望をもって歩んでまいりましょう。

では最後に、私達がこの地上を去った後に始まる「新しい命が、どんなものなのか」それが垣間見える34,35,36節を読みましょう。(ここを読んでみます)

ここで「新しい命」について教えられていることが大きく2つあります。

一つ目は、「死後、神によって与えられる新しい命は、もはや朽ちない、永遠のものだ」ということです。36節に「死ぬことがない、天使に等しい者」とあるとおりです。

先程お話ししたように、イエス・キリストがこの世に来られた時代は、今のように結婚に多様な価値観を見出していた訳ではなく、子孫を残すための「結婚」という意味合いが強かったのです。「永遠に生きられるのなら、後継ぎを残さねばならないというプレッシャーから解放される!そう理解した人は多かったことでしょう。

二つ目は、新しい命には、誰々の妻であるとか、誰々の夫であるということのまえに「神の子だ」として生きるのだということが教えられるのです。

新しい命をいただいた後は、つまり天国では神の子として、神との深い愛の交わりで心満ち足りるのです。そして同じく天国にいる者同士が「神にあって、愛の交わりの内にいることができる」のです。

天国において、この地上の結婚の関係、家族の関係が無くなり、赤の他人になる…ということではありません。 ある牧師がこの箇所の解説で「天国において、人間はその人格がきよめられ、完成された者になる。愛において完成した者同士とされるので、夫婦の関係も、地上にいるときよりも、神にあって理想の愛が実現するのだ」と言っていますが、私も全く同じ思いです。

今日はこのように「この地上での歩みを終えた後の新しい命」について私達にいくつかのことを教える聖書箇所を味わいましたがいかがだったでしょうか?

現代人の多くは、この箇所に登場した「サドカイ派の人々」のように、目の前の現実を重視し、天国での新しい命を馬鹿馬鹿しいこと、ありえないことのように呟いています。

しかし、私達を天国に導くために、この世にきてくださった神の子、救い主イエス・キリストはそんな呟きに対し、確かに答えてくださるのです。

私は、あなたが地上を去ったあとも、ずっとあなたの主であり神なのですよ。天国ではこの地上の争いや痛みから、あなたはすべて解き放たれ、愛の内に交わり、生きることができるのですよ…

どうか、この天への導いて下さるイエス・キリストを人生の主として受け入れましょう。そうすればたとえ苦しい状況の今でも、希望をもって毎日歩むことができると確信します。

(祈り・沈黙)

 

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