1月22日説教

「流れのほとりに植えられた木」
<聖書>詩篇1:1~6
鈴木恭子牧師(日本基督教団 下関西教会)

いかに幸いなことか、神に逆らう者の計らいに歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人
「神に逆らう者、罪ある者の道、傲慢な者」とは神を離れて自己中心的に生きる者の姿をいう。自分勝手な思いで歩み、その中に入り込んで行く、そういうことをしない人は“幸い”であるという。「幸い」とは“直く歩む”という言葉に由来し、神様に従う世界に歩み込んで行く、つまり“恵みの世界”に入れるというのです。「教え」とは神様の意思、み旨のことで、「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人」は、いつもそのことを何よりも優先し、それを“黙想”し、心の中まで至らせ、“体に焼き付けなさい”ということです。「流れのほとりに植えられた木」は、「時が巡り来れば実を結び、葉も萎れることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす」のです。
我々は「流れのほとりに植えられた木」のようにありたいものです。その流れは聖霊(生ける水)」のある所、二人または三人が私の名によって集まる所に“私も居る”といわれる所、つまり「教会」に来続けることが、「流れのほとりに植えられた木」です。アブラハムのように祝福を受けることが出来るのです。