3月19日説教

「蒔いたものは刈り取る」
<聖書>詩篇126:1~6
鈴木恭子牧師(日本基督教団 下関西教会)

パレスチナにおいては夏期(乾季)に一滴の水すらない枯れた川であっても、冬期(雨季)を迎えるとひと時に増水し、満々たる水を湛える。そして農夫は畑を耕し、種を蒔き、うえに土を覆います。そこで、種蒔きをする頃はまだ夏の余熱で砂地は焼け、辛い仕事になるのです。しかし、雨季の終わり頃(春)になると、土の中の種は芽を出し、成長し、花を咲き、実を結びます。そうして初夏を迎える頃に収穫の時期となるのです。
イスラエル人たちはバビロン捕囚から86年を経てようやく還ってきたのですが、神殿は壊され、田畑は長い間放置されていたため、荒地となり、作物の出来は悪く、がっかりしました。
彼らは涙と共に種蒔くように涙と共に“町の再建”を始めました。それは決して空しくはされません。やがて歓びの声をあげて収穫するように、必ず立派な町が再建できるのだと言っているのです。
私たちが御言葉の種を蒔くことと同じです。人に伝道することはとても難しいのですが、蒔かなければ刈り取れません今、成すべきことを為してこそ、刈り取りの歓びを体験できるのです。