3月18日説教

「主イエスの祈りに支えられて」
<聖書>ルカによる福音書22:31~34、54~62
隅野瞳牧師(日本基督教団 山口信愛教会)

サタンは私たちが主の任務に堪え得ぬ罪人であると証明するために、私たちの信仰をふるいます。しかし神は私たちが打ち砕かれ、主の祈りによって信仰が支えられていることに気づかせるために、試練を許可されます。主は大祭司の家に連行され、ペトロは決死の覚悟で乗り込みました。すると三人の人に主との関係を指摘され、三度目の否定の終らないうちに鶏が鳴き、主は振り向いてペトロを見つめられました。彼は「あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」との主の言葉を思い出し、彼の信仰は激しく震われました。私たちも主との関係をしばしば隠し、決心がつまずくことがあります。しかし自分の弱さや無力さを見せつけられるのは、真に主により頼む者となるために置かれた大切なステップです。教会は主により頼まなければ、決して人の力では建ち得ないと気づくことが、教会が教会であるために大切な転換点なのです。
主のまなざしはペトロの罪や弱さを厳しく見つめつつも、十字架の犠牲に裏づけられ、限りなく憐れみに富んでいました。「わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った。」との主の愛の言葉に、彼は立ち帰りました。主は聖書を通し、私たちを命に至る悔い改めに導かれます。彼は自分の弱さを通して神の強さを知り、主との関係を隠さないペトロ(岩)に変えられました。主イエスの祈りに支えられて私たちは立ちあがり、新たに生きることができます。失敗を恐れずに、伝道や教会の業を共に担い、自分の主体をもって信仰に生きるクリスチャンでありましょう。目に見えるものに頼っては失敗して、主に立ち帰る。これを繰り返しながら、私たちは成長させていただくのです。立ちあがらせていただいた者の使命は、兄弟たちを力づけることです。私たちが倒れている時に、先に苦難を歩まれた方の存在を通して、主は私たちを癒してくださいました。主がお与えになる信仰の岩の上に、主によって建て上げられ、祈り支え合って歩んでまいりましょう。