8月12日説教

8月12日説教
「信仰のない、よこしまな時代にあって」
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
聖書  ルカによる福音書9:37~43

 この箇所を黙想するにあたり、自分の姿と弟子たちの姿が重なって映りました。私も自分を無にし、「ただ主の力により頼んで祈り、ご用をした」その結果、神の業が働くのを何度もみさせていただきました。しかし!その後で「次も同じことができる」、つまりは「自分の力で何かできる」と驕った考えをもっている自分に気づきました。本当は愚直なまでに「自分を無にし続け、主の業が働くことを祈り求め続けなければならないのに…」。私たちは、イエスの言葉にあるとおりの「信仰のない、よこしまな時代」に生きています。目に見えない神を信じること、そこにより頼んでいきることは「弱い人の象徴」と見なされる。逆に「自分の力に頼り、自分を信じて生きている者」が立派な生き方のように見なされる…そういう世の中です。私達も、気が付かないうちに、そういう「世の価値観」に流されます。そしていつしか「自分を無にして、神に委ねる」ことを止めてしまいがちです。また「自分の力に頼りがち」です。だからこそ!山の上で「神の独り子としての」栄光の姿を表されたイエス・キリストだけが私達の拠り所であること!それを「弱く驕りやすく、世に流されやすい私たちは」思い返さねばならないことを今回の箇所は教えます。