「クリスマスの喜びを本当にいただくために」12/16説教 隅野瞳牧師

12月16日説教
クリスマスの喜びを本当にいただくために
隅野瞳牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
聖書  ルカによる福音書1:5~25

 神の御前に正しく生きようとしていた、ザカリアとエリサべトという夫婦がいました。彼らは子どもを授からずに高齢を迎えましたが、神は彼らを顧み、神殿で香をたくという貴重な奉仕にザカリアをお選びになりました。さてザカリアが聖所に入って香をたいていると天使が現れ、「あなたの願いは聞き入れられた」と告げました。その内容は、妻エリサべトが男児を出産するが、その子をヨハネ(主は恵み深い)と名づけるようにということでした。聖別された神の器ヨハネの誕生は、ザカリア夫妻のみならず、多くの人々に喜びをもたらします。イスラエルの罪と戦ったエリヤのごとくヨハネは罪に向き合い、悔い改めを伝えて、恵みによる救いに導くのです。神に立ち帰った人は人との関係においても、御父と御子が互いの顔を見ておられるように、互いに心が向き合い愛し合うようになります。
しかしザカリアは子が産まれることを信じることができませんでした。天使は時が来るまで、ザカリアの口が利けなくなるというしるしを与えました。ザカリアは大切な奉仕を務めきれませんでしたが、強いられた沈黙は、神の力が彼の内側で働く恵みの時の始まりでした。神への疑いやつぶやき、人への攻撃を口にしていることに気づいた時は、自分の言葉や行動、情報から離れて、神の言葉を聞くために沈黙しましょう。キリストの中に自らを沈めて、神の臨在に接することを学び、新しい者として立ちあがらせられる時まで静かに待つのです。ヨハネの誕生は悔い改めを必要とする、ザカリアも含めた全ての人のためでした。ですから癒された時にザカリアは自分の弱さを公にし、このような者にも注がれる救いの恵みを証ししました。貧しく小さい私たちであっても主の務めを果たす時に、それは十分に奉仕ができた(と思っていた)時よりも、クリスマスの喜びを本当の意味で告げ知らせているのです。