「神のことばは必ず使命を果たす」12/4 隅野徹牧師

  12月4日 降誕前第3主日礼拝・聖餐式
「神のことばは必ず使命を果たす」隅野徹牧師
聖書:イザヤ書55:1~13

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 今年は、クリスマスまでの礼拝で、「日本基督教団が出している教会暦に基づいた聖書箇所」からクリスマスメッセージを語らせていただいています。今日は、キリストが人として降誕される前の旧約聖書の時代に、「キリスト来臨による希望」が預言された箇所を、皆様ととともに味わいたいと願います。

まず今日の箇所のイザヤ55章について、少しお話しさせてください。イザヤ書は全部で66章ありますが、内容から大きく3つに区分することができます。二つ目の区分が「40〜55章」といわれますので、今回の55章は、「預言書としての第二章の締めくくり」といえます。

この預言は紀元前6世紀ころに語られたと言われています。背景としては「バビロン捕囚」があるのです。

イスラエルはこの頃バビロニアという強国に滅ぼされました。主だった人びとがバビロニアに連れて行かれただけでなく、都エルサレムは焼きはらわれて、人々の信仰の中心であったエルサレム神殿も破壊されました。 希望を失くし、囚われの身で過ごさなければならなかったイスラエルの民の一人イザヤに、主の言葉が臨んだのです。 その締めくくりの「主の言葉」が、この55章です。 

この聖書箇所は「この数百年後に成就する、イエス・キリストを通してなされる神の救い」の約束の預言なのです。

 この55章を、順を追って読んでみたいと願います。

まず1-2節です。

ここでは捕虜となって外国から帰国する民に「穀物やぶどう酒」が豊かに与えられることが約束されています。荒廃した故国に帰る民は、帰国後「食べることが出来るか」を心配していました。しかし、肉体的に「空腹が満たされる」という次元を遥かに超えて「良いものを食べることができ、魂は豊かさを楽しむ」と約束されます。

もちろんこれは「心の面、霊的な面」においての話です。そのことが続く3~5節で分かります。

神は捕虜となっている民に語られます。「あなたがたは再び神の民、諸国民のへの証し人として立てられるのだ」と

人間の目には「滅んだかのように見えていたであろうイスラエル民族」が再び「国を形成する」と言う約束です。

 これは「目に見える、国家」のことを言っているのではなりません。ダビデに神が直接約束されたように、ダビデの子孫を「王」として、世界のすべての民が、神にあって一つとされる「国」がやがて形成されるという約束です。

これがイエス・キリストに降誕によってもたらされる「新しいイスラエル」つまり「力や武器によらず、愛によって治められる神の国が到来する」という約束です。

順番を入れ替えて先に見ますが12節、13節をご覧ください。

ここには、まさにダビデに約束された「新しい国」「新しいイスラエル」の姿が描かれています。

「自然のすべてが調和し、多くの平和と喜びのうちに迎えられる国」そして「とこしえに消えて滅びることのない国」が約束されているのです。

 つづいて6節と7節です。ここには「キリストを中心とする新しい国、新しいイスラエルに入るために大切なこと」が語られます。 それでは6節7節を読んでみます。

ここでは「今こそ、私を求めよ」「今こそ立ち返れ」という神からの強いメッセージがイザヤを通して語られます。これは捕囚の地で「神に逆らい、悪を行おう!」という感じで、祖国帰還を拒否しようと者たちがいたことが背景にあると言われます。

神の国には「具体的な在留資格」は必要ありませんし、税金を納める必要もありません。入るために必要なことは「神を求めること」そして「間違っている自分に気づき、神に立ち返る気持ちを持ち続けること」です。そうすれば7節の最後にあるように「豊かに赦される…」それが新しい神の国なのです。

私達もこの「新しい神の国」の約束の中で生きて行くことができるのです。

残りの時間で、残った8節から11節を読みます。今回のメッセージの中心をここに置かせていただきます。クリスマスに人としてこの世に来てくださったイエス・キリスト、そしてこのことを通してなされる「神のご計画の奇しさ」を味わいましょう。 

(※8~11節の前半をゆっくり読みます)

「神の思いは、私たち人間が思い描いているものとは異なる。神の道は、私たち人間が歩むだろうと想像している道とは異なる」そのようにイザヤは8節9節でいいます。 

しかし!そうであるけれども、イザヤは「この遥かに高い神の思いと、私たちの思いをつなぐものがあるのだ」と言います。それが「神の言葉」だと10節11節前半で教えられるのです。

神の言葉の働きを具体的に思い浮かべるために、神はイザヤを通して「雨や雪の譬え」を用いられた上で、お教えになります。

雨や雪が天から降り注いで、大地を潤し、芽を出させ、地上の生き物に「糧を与え」ます。雨や雪が「空しく天に戻ることはない」のです。

これと同じように、「神の言葉」も天から私たちに降り注いで「私たちに豊かな恵みと憐れみ」を与えるのです。

遥かに高い神の思いと、私たちの思いをつなぐ「神の言葉」、それが「どのように天から私たちに降り注ぐのか」そして「具体的にどのようにして、私たちに恵みと憐れみ」を与えるのか、その答えの一端が11節後半で見て取れます。

それでは11節後半をお読みいたします。

神の言葉は「天の父なる神の御心を必ず成し遂げる、そして天の父なる神の与えた使命を必ず果たす」とあります。 これは、クリスマスにこの世に来てくださった「神の独り子、イエス・キリスト」のことが預言されていることは間違いありません。

ヨハネによる福音書1章14節「ことばは肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」という言葉が表していますが、イエス・キリストは「人間の姿をとってこの世に来てくださった神の言葉」なのです。

また、福音書の多くで証言されますが、イエスは「父なる神の御心を、この世においてそのまま行うために、一つ一つの業を成された」のであります。

その業の中で、最も大きなものが「十字架と復活」なのです。 

もう一度イザヤ書55章11節に話を戻します。

神の言葉である「独り子イエス・キリスト」が、2000年前のクリスマスにこの世にくださってくださいましたが、それは「私達の思いを遥かに超えた、神の御心をこの世で成し遂げるため」であることが、ずっと前から約束されていたのです。

その御心とは6節、7節から分かるように「人を悪から救い、赦す」ということです。イエス・キリストは「この御心を行う使命を果たす!そのために」この世に来てくださったことを、アドベントの今、深く心に留めましょう。

私達の造り主である「神ご自身が、私達人間の罪を赦すために、ご自分の独り子をこの世に送られたこと」…それは、人間の考えを遥かに超越するものです。それだけ、神が私達人間一人ひとりを愛しておられることを心に留めて、この先も歩んでまいりたいと願います。

 (祈り・沈黙)