「神はいつも執り成し手を探しておられる」
<聖書>イザヤ書59:16 ローマの信徒への手紙8:26
M兄
「あなたの意志(おもい)が成りますように…(岩波訳マタ6:10)」は、私の祈り。イザ59:16に聖書の中で最も悲しい「主は人ひとりいないのを見、執り成す人がいないのを驚かれた…」なる御言葉を、私自身の悔い改めの中からの神様の声とした。エゼ22:30でも「石垣の破れ口に立つ者を彼らの中から探し求めたが、見いだすことができなかった」と、主は民に対して憐れみ深い心を持ち続けられた。しかし執り成し手がいない。この世の破れ口を「背負う」者がなく、かえって自分の利することに奔走しているとしたら(フィリ2:21)、主の意思(おもい)は如何ばかり。石垣とは教会のことです。 なぜ、神様はその執り成し手を見付けるために、苦労をされるのか。執り成しは、語意からして緊迫感があり、本気で、熱心に頼み、そして請い続ける激しいものなのだ。ロマ8:26に「“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです」と。弱く小さな者を執り成し手、働き人として主は探しておられるのです。 |