5月28日説教

「見えざる福音の手」
<聖書>エレミヤ書10:1~10a   ルカによる福音書24:44~53
古屋裕子牧師(日本基督教団 教師)

教会は使徒信条によって主の昇天を告白します。しかしそこで「アーメン」と終わらず、今生きて、天の「全能の父なる神の右に坐したまへり」と力強く告白します。「天」はどこか遠くではなく、祈る時、いつも私たちの深い所に「天」への窓は開かれます。主は両手を挙げて弟子たちを「祝福しながら」(ルカ24:51)天に上げられました。
主はこの教会を愛し、長い歴史の中、無牧の試練の中でも幾人もの牧者を遣わし、祝福を注ぎ続けられました。天からも地からも、陰府に下るような苦しみの底にあっても、主の愛が私たちを包囲していることを牧師は宣言するのです。私たちはいつも、主の祝福の御手に抱かれています。私たちの「天」にこの主のお姿を見るならば幸いです。主の祝福が私たちを立ち上がらせ、新しい旅立ちへ押し出します!