「神の愛は、ほかの町や国にも」
<聖書>ルカによる福音書4:38~44
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
主イエスを引き止めたカファルナウムの人々の心は「主イエスが何のためにこの世に来られたか」を考えることはなく、ただ「自分たちの望む癒しのみ業」だけに心が向いているのです。「いつまでもイエスが近くにいてくれたら、病気を治してもらえて健康でいられる。だから行ってほしくない」という自分中心な思いが支配していたことの現れです。ここから私たちは、「主イエスの十字架の福音を聞くことなしに、ただ自分の悩みや苦しみの解決のみを求めていないかどうか、心に問いかけるべきです。神様の御心は何か、神の国全体にとってよいことはなにか、ということを全く考えもせず、日々の生活の苦しみが楽になることだけを求めてはいないでしょうか。また43節の主イエスの言葉のように「自分以外の世界中に福音が宣べ伝えられることを、本当に私は喜びとしているのか」という問いが与えられているのではないでしょうか。それとともに今日は平和聖日ですから、主イエスがご自分を犠牲にし、私たちを救ってくださった、その大きな愛が、私たちの教会のメンバーだけでなく、あの町のあの人にも、この町のあの人にも伝わるとき、世界は少しだけでも平和の方向に向かうことを信じています。