「与えられた賜物を福音のために」
<聖書>ルカによる福音書2:22~38
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
年齢を重ねた「シメオン・アンナ」が、卑屈にならず聖霊を豊かに受け、神と祈りの内に豊かに交わって生きていた様子が見て取れます。その理由の一つには「静かに忍耐強く、神を待ち望んだから」。しかも、「自分の事よりも、全体のことを考えた信仰生活を送っていたから」だと私には示されます。シメオンもアンナも苦しさの中で、弱り果てていったのではないのです。逆に「苦しいから!弱いから!だからこそ」神様と人一倍、交わったのです。そしてこの二人は神様に用いられるのです。シメオンは幼子の母マリアに向かって、「母であるあなたの罪がこの子によって明らかにされる」と大切なことをいっています。これだけのことを言えたのはシメオンだからこそです。一方のアンナも38節後半で「エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。」とあるように早速、人々にイエスのことを宣べ伝えているのです。普通の両親に連れられた「見た目は普通の人間となんら変わらない幼子」が「全世界に救いをもたらす救い主である」ということは簡単には信じにくいことですが、長い間、苦難の中で「固く立った信仰を持っている」ことが人々にしれていたアンナだからこそ、伝わったのだと思います。
他の神殿にいた多くの人は、健康に恵まれ、人間的なパワーはあったかもしれません。しかし「生まれたばかりの救い主」とすれ違いながらも、その恵みは感じなかったようです。弱さがあるからこそ、大切なことに気づき、そして神様と深い交わりをし、結果的に神様がそういう方々を用いられるのだ…聖書はそう教えているように感じます。この教会でも、これからの歩みの中で、経験豊富な方々の証しや御意見が用いられることを願っています。どうぞ、シメオンとアンナのように、神から頂いている豊かな賜物を、福音のために用いていただきたいと願います。