11月19日 説教

人生の土台
<聖書>ルカによる福音書6:46~49
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)

「聖書の教え」は「知っている、頭に入っている」というところで留まるのではなく「行ってこそ意味のあるもの」ですが、とくに「聞く」ことの大切さを心に留めましょう。聖書の言葉、イエスの言葉は「聞く態度」が問われます。ただ頭に詰め込んでも、「人生の土台」にはなりません。また、人にひけらかす為に、自慢したり、相手をだまらせ、納得させるために「覚えよう」とした聖書の言葉も、残念ながら人生の土台にはなりません。そこには「素直に神の教えを聞く」その謙虚さがなければならないことを、今回の聖書箇所は教えています。
もう一つの大切なことは47節の「わたしのもとに来て」という言葉です。「わたしのもと」つまり「イエス・キリストのもとに来る」とは何かというと、「教会に来て、礼拝を守って」ということだと理解します。教会の礼拝は「神の前に、キリストの前にへりくだり、自分を低くして」持つものです。また聖餐式などで「自分の罪を深く見つめ、悔い改めの思いをもつ」ことをします。 また教会はいろんな考え方、価値観の違いをもった人が一緒に進んでいく場所です。 こういう場所だからこそ、「試練にも負けない、人生の強固な土台となるような柱」が形作られるのです。