2月4日説教

「イエスにつまずかない信仰生活」
<聖書>ルカによる福音書7:18~35
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)

神の子イエスからも褒められ、実際にイエスが神の国を新しく到来させるために重要な働きをした「洗礼者ヨハネ」が、なぜイエスのところに「使いを送ったのか」に注目しましょう。このとき牢獄にいたヨハネは弟子のところに遣いをおくります。そして「イエスに「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」と質問しているのです。本当にこれがあの「洗礼者ヨハネの言葉なのか?」と思ってしまう、そんな言葉です。
その捉え方は何通りかあります。一つ目は、「ヨハネは弟子に対して、実際にこの目でイエス・キリストの活動を見てくるように」と送り出したという捉え方です。もうすぐ処刑されていなくなってしまうかもしれない自分にではなく、本当に「従うべきお方」を自分で見て、確信をもってほしい。そんな思いからだったという考え方ですが、私も同意します。
もう一つの捉え方。それは次のようなものです。「ヨハネ自身もこのとき、投獄されていて処刑も近いと感じる中で、心が不安定になっていたのではないか」という説です。 だから「あなたで間違いないですよね?ほかの方が救い主じゃないですよね?」と確認したというのです。「ヨハネがそんなに弱気になるはずがない!と否定する人もいます。しかし私は思います。ヨハネは神ではなく「人間」です。不安になることも当然あったでしょう。
神について、救いについて確信がもてなくなった。悪がはびこる世の中にあって、社会を変えようとするのではなく、ひたすら弱い者と共に歩まれているイエスが「本当に神からの救い主かどうか確信が持てなくなった」。分からないことがあるからこそ、ヨハネは自ら尋ねたのです。この一見消極的に見えるヨハネの姿勢こそ、私が今回皆さんに最もお伝えしたい「信仰生活の姿勢」です。それまで学んだこと信じた経験したことは大切にする。しかしそれを絶対と決めつけず、たえず本当か主イエスに立ち返るのです。主におたずねし、紆余曲折を経て、やはり主が救い主であることは真実だというところに帰ってきます。