「本当の神の子」
<聖書>マルコによる福音書15:33~39
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
百人隊長とはこのとき、イスラエルを統治していた「ローマ軍」の小隊長でした。ユダヤ人ではありません。これまで、主イエスの業に触れたことも、言葉を聞いたこともありませんでした。ローマ兵たちは、イエスに暴行を加え、侮辱しましたが、この百人隊長はその侮辱を止めず、他の処刑人と同じように扱ったのです。
しかし、イエスが十字架の苦しみを経験する一部始終を「最も傍にいて」見つめていました。その中で、自分が彼に加えた苦しみが「罪」であることを、その罪から救い出すために、イエスはだまってじっと苦しみに耐えてくださったことを少し悟ったと私は考えます。
イエスは全知全能の神の子ですから、逃げようと思えばいくらでも逃げられた。それでも人間を罪からすくいだす計画を完成させるために、十字架の上で苦しみぬいて死んでくださった。そのことが「心に迫った」だからこそ、「本当に、この人は神の子だった」ということを告白できたのです。
十字架の上のイエスには見た目の華やかさは全くなく、むしろ「衣服をはぎ取られ、見るも無残な姿」でした。そして奇跡を起こしたりといった「勇敢な行動」もなさらず、ただじっと苦しまれたのでした。しかし、この十字架上の姿こそ「イエスが本当の神の子」であることを示しているのです。