4月15日説教
「神の赦しと、人の考える赦しの違い」
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
聖書 ルカによる福音書7:36~43
神の罪の赦しというものは、人と比べようのないものなのです。自分と神その「一対一の関係」で与えられるものなのです。 シモンは『神はこの罪深い女を「こうこうこう言う風に!」お裁きになるはずだ』と考えていましたが、実はそれは、シモンが口を挟んだり、意見できるものではないのです。「神様はなぜあの人を裁いてくれないのだ!」などと思うことは私たちにも多くあるのではないでしょうか?でも、それは結局、創造主であり、この世界をすべて治めておられるお方を「自分に都合の良い存在」として軽く見ていることになるのです。
シモンはファリサイ派のメンバーとして「外見の行いは立派だったかもしれません」が、このように、神の前に罪を犯していたのです。イエスはそんな「シモン」に対して、このたとえを語られながら、「本当は罪深い、彼の姿に気づかせよう」とされたのです。「あなたは帳消しにしてもらう罪は少ないと思っているかもしれない。しかし、あなたの罪もこの罪の女と同じように大きいのだ。そして特別に赦してもらわなければならないのだ!」このメッセージは、私たち一人一人にも語られているのです。そして私たちは、この「ファリサイ派のシモン」と同じような心をもっていることを覚えましょう。