9月30日説教
「本当に喜ぶべきこと」
隅野瞳牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
聖書 ルカによる福音書10:13~24
72人の弟子たちが喜んで帰って来ました。彼らが喜んでいたのは、御名を使うと悪霊さえも彼らに屈服したことでした。主は彼らの喜びを受け止めつつも、「名が天に書き記されていることを喜びなさい。」と言われます。確かにサタン(悪魔)は天から落ちました。サタンは神に人間の罪を告発し、神の許可する範囲で人間を試みる権能を与えられていました。しかし主は十字架と復活によって罪に勝利し、サタンは速やかに御前から退けられます。けれども主は弟子たちが悪霊に優越したことよりも、まず神の愛、救いの恵みを受けたと自覚できる信仰の喜びを、第一のものとして示されます。それは外に向かうために私たちに与えられた力の源、純粋で汚れのない喜びです。
名が天に記されている、これは「命の書」とも言われます。主が私たちの救われている事実をお忘れになることは決してありません(イザヤ49:14~16)。なぜなら御子の尊い血潮であがないとった者だからです。自分の能力や環境に依存するのではなく、私たちが救われているという、神に由来する永遠の喜びに基礎を置く時、私たちは試練にも耐えうる教会となるのです。
名が天に記されている恵みを知るためには、神の前に自分の無知と限界を認め、素直に福音を受け入れることです。また情報の分量ではなく、幼子がその父について持つような信頼と人格的つながりとをもって神を知ることです。神の子としての真のあり方を私たちに見せて下さったのが、主イエスご自身です。
主は弟子たちが福音の時代の幕開けに居合わせる特権を与えられている恵みを自覚させられました。主は私たちにも「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。」と語られます。私たちの日常に働かれる主の御業を過小評価せず、恵みを数えて証しましょう。小さい私でしか届くことのできない人が隣で福音を待っています。本当に喜ぶべきことを喜び、神の目と心をもつ者に主が変えてくださり、人々の中にあって救いの喜びを証する者となりえますように祈ります。