10月7日説教
「隣人になるとは」
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
聖書 ルカによる福音書10:25~37
たとえ話を始めるきっかけになったのは律法の専門家の「では、わたしの隣人とはだれですか?」という質問でした。それは隣人を選別する考え方、自分から見て「この人は隣人、でもこの人は隣人ではない」と選り分ける考え方です。しかしたとえ話の後、イエスは「誰が隣人になったか?」と言われました。つまり「自分にとって隣人はだれか?」ではなくて「自分がある人の隣人になる」という考え方です。自分で愛する相手を選り分けられないのです。「あの人は考え方がおおかしい、嫌いだから愛さない」ではないのです。何があっても「愛さないこと、愛せないこと」を正当化しない。それが隣人を愛することに必要だとイエスは教えておられるのです。私たちは「幼子のように素直に」、神を愛し、そして隣人を愛すことを問い続けましょう。できない自分に嫌悪感をもったり、罪深さを知ることは一生続きます。それでも自分を正当化せず、神に「隣人になるとは一体どんなことか」を問い続けることが永遠の命につながるのです。