12月9日説教(待降節第2主日礼拝)
「神のご計画を成し遂げるために人となった方」
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
聖書 イザヤ書53章
イエス・キリスト降誕の数百年前に預言されたこの箇所は「預言された、救い主イエス・キリストの苦しみ」が誰によってもたらされたのか、つまり「だれが計画したのか」が強く、示されているのです。そしてこの「救い主の苦しみ」によって、「すべての人間が、罪から救われる道が開かれる」という神の計画は成しとげられたのです。具体的に何が「成し遂げられるのか」それが、11節、12節から見て取れます。神の子自らが「罪を負うことによって」「多くの人が神の前に、本当に正しい者とされる」のです。私達が天の国、永遠の命につながるものになる、それこそが12節にある「キリストの戦利品」であり、11節の「苦しみの実り」であります。このことが何より「キリストが満足されること」なのです。
また「とりなし」とあるそれは、まさにキリストが「すべての人間を愛するがゆえに、神である方が人間としてこの世に来てくださり、私達の罪の身代わりとして苦難を負ってくださった」ことなのです。それは十字架の上で死んでくださったことによって成し遂げられた、そのことを「クリスマス前の今」もう一度心に刻みましょう。