「イエスへの信仰を人々の前に明らかにする」5/26 隅野瞳牧師

5月26日説教
イエスへの信仰を人々の前に明らかにする」
隅野瞳牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
聖書:ルカによる福音書12:8~21

 人の前で主を受け入れるか拒むかで、天の法廷で主イエスが彼らを受け入れるか否かが決まることを、主は告げられました。キリストのものとして生きる実際の生活も信仰告白です(マタイ7:21~23)。最も小さい者に具体的な愛を注ぐ時に、主はそこに本質の伴う信仰をご覧になります。ご自身への愛の行いとしてその者を祝福し、御国を受け継ぐ者としてくださいます(マタイ25:31~46)。主が十字架に命をささげてくださった、という具体的な愛を私たちが受けたことを覚えましょう。自らの罪が示され、主イエスを救い主として告白することは、聖霊の働きによります(Ⅰコリ12:3)。聖霊は福音を宣べ伝えるために、すべての知恵と力、愛を与えてくださいます。
すると群衆の一人が、兄弟が遺産を分けてくれるよう助けてほしいと主に訴えました。主はそこでたとえを話されました。金持ちの畑が大豊作で作物を蓄えきれなくなり、もっと大きい倉に建て直すことにしました。未来の安泰を思って上機嫌でいる彼に神は、今夜その命が取り上げられると告げるのです。主は私達に富を築く力をお与えになり、神をたたえさせてくださいます。しかし金持ちは収穫と自分のことだけを見つめました。「神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」私たちが持つものはすべて神からの預かりものです。終りの日に、神から委託されていた賜物を用いて、私たちが何をしてきたかが問われます。財産の豊かさが命の豊かさなのではなく、私たちの命は神の内にあります。神をいただくためには、自分がにぎりしめているものを手放す必要があります。それはすべてを失うことではありません。地上において人知をはるかに超える報いを受け、天においては何にも代えがたい永遠の命をいただくのです。主を第一の方としてささげていく時、本当の意味で私たちの賜物が活かされ、主の栄光と隣人のために用いられます。自らの貧しさを知り主により頼む者は、いつも満ち足りて幸いであり、主の恵みを分かち合うことを喜びます。家族や仕事との関係も、真の祝福へと変えられます。それが神に富む、永遠の命の歩みです。