12月15日説教 「ここに愛がある」(降誕前第2主日礼拝)
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
聖書:ヨハネの手紙Ⅰ4:9~12
M兄の証しを聞くことができてうれしく思います。兄弟を通して、神がどのように働かれたか…覚え続けるとともに、これからもM兄弟を「主が証し人」として用いて下さるように、そしてご家族が祝福されるように、引き続き祈ります。
さて、今日の「礼拝説教」は証しがあった関係で、いつもの半分の長さでさせていただきます。聖書の箇所もたった3節ですが「神がその独り子キリストをこの世に送られる」という「クリスマスの出来事」にどんな意味があるのか、一言で表している大切な箇所です。短い時間ですが、御言葉を味わいましょう。
前半の9節10節に注目しましょう。(読んでみます)
ここには「クリスマスの出来事」が一体なんの目的のためかが示されます。「神が独り子を世に遣わされた」のは「私たち、すべての人間が生きるようになるためなのだ」ということです。
「私たちはすでに生きているではないか…」と思われた方があるかもしれません。しかし、聖書は教えます。「私たちは確かに呼吸をしていても、罪に溺れ、自分や人を傷つけているのなら、魂は死んだ状態だ」と。
その状態から私たち人間一人ひとりを救うため、つまり「本当の意味で生きる者にさせる。その目的のために」神は「独り子イエス・キリスト」をこの世に送ってくださったのです。
さらに、この9節と10節には「私たちが生きるために、御子イエス・キリストを送ってくださったことによって」表されたもの、示されたものが読み取れます。
クリスマスの出来事を通して神が表され、示されたもの…それはご自身の「私たちに対する愛」なのです。
この「愛」はギリシア語の「アガペー」という言葉です。これは、異性愛や母性愛、友愛というものとは全く違う「価値なき者を愛する無条件の愛」を表していますが、神がクリスマスの出来事を通して私たちに示されたのも「無条件の愛」「価値なきものをそれでも愛する愛」なのです。
先ほども申しましたが、私たち人間は本来「罪に溺れ、自分や人を傷つけている、魂は死んだ状態」です。そんな「罪まみれで生きた屍のような私たち」を生かすために、神は私たちが頼んだわけでもないのに、「大切な独り子」をこの世に送ってくださったのです。 そして私たちとともに生き、苦しみ、悲しみを共有してくださった後、十字架にかかって「罪を償ういけにえ」となってくださったのです。その後復活され、天国への道を開いてくださったのです。
このことによって「死んだような状態の私たち」が、本当の意味で生きる道、つまり「この地上で死んでも、それで終わらず生き続けられる道」が開かれたのです。 最初から神は、大切な独り子キリストを「罪を償ういけにえとして」私たちのためにこの世に送られたのです。
それは!「神様!あなたを大切にします!だから私たちを罪から救ってください!」と頼んだからではありません。10節をもう一度ご覧ください。
わたしたちが神を愛したのではなく、「神が一方的に!私たちを無条件の愛で愛してくださった!」そうだからこそ、「罪をつぐなういけにえとして、大切な独り子イエス・キリストをこの世に送ってくださった」のであります。
今朝は短い説教となりましたが題を「ここに愛がある」と付けました。クリスマスは、罪まみれで本当なら神から愛される資格のない「私たち一人ひとり」を、それでも神は愛してくださっているということが「はっきり示される出来事なのだ」ということを、今一度心に留めましょう。
最後に11、12節を味わってメッセージを閉じます。(※11、12節をお読みします)
ここで教えられること。それは「神の無条件の愛を受けたなら、ただ受けただけで終わらない」ということです。クリスマスに示された「私たちへの無条件の愛」は「生き方そのものを変える力がある」のです。
神の無条件の愛は、自分に示されただけでなく、周りの一人ひとり、いやもっというなら「私たちが苦手としていたり「対立していたりする人々」にも示されているのです。だから「示された神の愛によって「私は神がそこまでしてくださる大切な命なのだ」と自分の尊さに気づかされるだけでなく、この人も、あの人も「神の愛された尊い命だ」と気づかされる力になるのです。
「自分は神に大切にされた尊い命だけれど、あの人は違う」とはならないのです。それは神の愛を知った、受けたことにはならないのです。 今、世界は「分断と排除」の方向に流れてしまっています。そんな時代にあって私たちは11節にあるように「まさに愛し合うべき」ではないでしょうか。この「愛し合う」は、繰り返しになりますが「エロスの愛で愛し合う」ことではありません。アガペーの愛で愛し合うことが教えられるのです。
これは大変難しいことです。でも、私たちが「神が示して下さった愛に基づいて」「無条件に愛することを求めるようになったなら…」そこに「神が生きて働かれていることが、私たちを通して表される」のです。
12節にあるように、神は肉眼で見ることはできません。しかし私たちが「クリスマスに示された神の無条件の愛を感じ、その愛に生きる時」神は私たちの間におられるのです。
この教会の玄関に掲げられた「日野原重明医師が自分で記して下さった」の言葉がありますが、こんな言葉です。 「あなたはひとりきりではありません。支え合うつながりのなかに生きているのです」 私はこの言葉と今日の聖書箇所Ⅰヨハネ4:12が重なると感じます。
クリスマスに示された神の無条件の愛を今一度心に刻みましょう。その無条件の愛に基づいて「愛し合い」ましょう。特に今苦しみ、悲しんでいる人と「愛し合い」ましょう。そのことによって「神の愛が私たちの内で全うされる」そのことを祈り求めてまいりましょう。