「受胎告知」11/29 隅野徹牧師

  11月29日説教 ・降誕前第4主日礼拝・アドヴェント礼拝
「受胎告知」
隅野徹牧師
聖書:ルカによる福音書1:26~38

説教は最下段からPDF参照・印刷、ダウンロードできます。

 今日はアドベント礼拝です。教会の暦では「待降節」という新しい暦になります。よく教会にとってのお正月だというような言い方をします。今朝、この会堂に入ってこられたとき、雰囲気がガラッと変わったと感じられたと思いますが、多くの方々のご協力のもと作られたステンドグラスや、その他の飾りつけもなされました。感謝します。

 今年は、クリスマスまでの4回の礼拝を、初めての方に「クリスマスとは何を祝う日なのか」分かるような、「ザ、クリスマス」という感じの聖書箇所からメッセージを語ることになっています。初回の今回は、マリアが、天使ガブリエルから、イエス・キリストをお腹に宿していることを告げられる、いわゆる「受胎告知の箇所」です。

 この箇所は、イエス・キリストの誕生前の出来事で、イエス・キリストは直接出てきません。しかし、クリスマスに生まれられたイエス・キリストがどんな方かを教えている箇所ですし、私たちがそのイエス・キリストをどのように受け入れるべきなのかが教えられる箇所なのです。 共に味わいましょう。

 さて、今朝は2つのポイントでお話しします。それは今申し上げたことについてです。①つ目は、「聖書の受胎告知の場面は、キリストをどんな方だと教えているか」ということ、②つ目は「受胎告知の場面から、私たちがどんな風にキリストを受け入れるべきだと教えているか」ということです。

 まず1つ目のポイントからお話しします。皆さんも「クリスマスに人としてお生まれになったイエス・キリストというお方がどんな方なのか」覚えていただければ幸いです。

 まずイエス・キリストが神の御子である、つまり「人間の肉体をまとわれているけれども、他の人間とは違う神なのだ」ということが教えられています。

 27節をご覧ください。 マリアはこの受胎告知の時点では、ヨセフの婚約者だったこと、そして男性とは関係を持っていないことが分かります。だから34節でマリアは「そのようなことはありえない」というような答えをするのです。

 しかし、これはただ不思議なことが起こったということを超えているのです。イエスはおとめ(処女)マリヤから生まれねばならない理由をこの場面ははっきりと示すのです。

 その理由は35節にあります。天使ガブリエルの、マリアの疑問に対しての答えですが、この節が今日のメッセージの中心箇所です。

 この節は前半部分と後半部分、それぞれに大切なことが教えられますので、分けて深めていきましょう。

 まず前半、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」の部分です。

 聖霊という言葉は聞いたことがあっても、よくは知らないという方もおられるかもしれません。聖霊は、文字通り「聖なる神の霊」で、生きて働く神の霊です。全地全能の神の御心がこの世界で成されていくために働く「神の力」です。全知全能の神の力ですから、人間には不可能な「奇跡」も成すことができるのです。

 今日の聖書箇所の35節前半では、「マリアは聖霊に満たされ、全知全能の神の力に包まれたから、おとめであるのにその胎に子を宿したのだ!」と天使が教えているのです。それは37節にあるように「神にできないことは何一つない」とありますが、時として常識をうちやぶる奇跡を齎しますが、それは聖霊の働きなのです。神がおとめマリアを用いて、そのマリアに「聖霊が働くことで」奇跡的な神の業が成されたのであります。

 そして後半には「なぜイエスの誕生が、人間の常識を超える奇跡的な神の業でなければならないのか」が示されています。ご覧ください。

 「だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」

 普通の人間と同じように、男女の性的関係によってイエスが誕生したのであれば「イエスが神の子救い主である」と呼ばれにくかったと私は思います。                    

 イエス・キリストはヨセフの力を借りることなく、マリアという女性の体を通して、神の霊である聖霊の働きによって「受胎」されたのです。その奇跡は、イエスが「ただの人間ではなく、神の子である」ということを指し示す「しるし」でした。

 とくに「聖なる者」という天使の言葉に大きな意味があります。聖なるとは「聖い」、すなわち「罪汚れがない」という意味です。

 聖書は、神が人間一人ひとりをご自身に似せられた者として創られた素晴らしい命として教えます。その一方人間は皆、罪をもって生まれると聖書は教えます。世の中の垢に触れて「罪深くなる」のではなくて、赤ん坊のとき、既に皆が「罪をもって生まれてくるというのが聖書の教えです。私も牧師として皆さんに講壇の上から語らせていただいていますが、生まれながらの罪人です。

 しかし、今日の聖書箇所は、神の子であるイエス・キリストが「罪を犯さない方として生まれたということ」を私たちにはっきり示しています。神の子が肉体を持った人間として生まれるために、一人の処女マリアの体を必要とされたのです

 ある牧師は「神の子イエス・キリストが罪のない人間として生まれるためには、聖霊によっておとめの胎に宿るというこの方法しかないと信じている」といっていますが、私も同感です。

 私は、処女降誕を科学的に理解しているわけではありませんし、どのようにして、一人のおとめが子を身ごもるのか、その方法は全くわかりません。しかし、人となってこの世に来られたキリストが「私の深い罪を救ってくださるためには」つまり人間を罪から救うために、おとめから生まれられた、それが神の深いご計画であることを純粋に信じます。

 今少しお話ししましたが、罪のない人間としておとめのお腹に宿られ、この世に来てくださった「神の子イエス・キリスト」。このお方が、私たちの住む「この世に来てくださった目的」それは、人間を罪から救い出すために「罪の身代わりになってくださるため」であったのです。

 神のままの姿では人間のために身代わりになって死ぬことはできません。それゆえ、イエスは最初から「私たちの罪の身代わりとして死ぬために」、肉体を持ってお生まれになられたのです。旧約聖書の時代、神は罪が何であるのか、赦しのため犠牲をささげることで罪を悔い改めることを教えられましたが、それで罪が完全に赦されることはありませんでした。しかし神の子が人間として誕生してくださり、私たちと同じ肉体をもった人間として共に歩んで下さった後、十字架で死ぬことによって、私たちに罪の赦しと救いを与えてしてくださったのです。

 そして、今日の聖書箇所には、イエスがただ十字架で死なれて、それでおわったのではないことも教えられています。それが32節、33節です。(※読んでみます)

 とくに32節の後半から先の「神である主は、彼に父ダビデの王座を下さる」と言われていることが大切です。これはクリスマスにお生まれになったイエス・キリストが、十字架で死なれた後復活され、天に昇られ、神の右に座されることを予め教えているものなのです。

 33節も大切です。天に昇られ神の右に座されたイエス・キリストが「今も生きて働かれ、この世を愛によって治めてくださっている」ということが教えられるのです。

 今年は新型コロナウイルス蔓延のこともあり、世界中が大変です。「神様はどこに一体どこにいるんだ!」と叫ぶ人も多くいますが、それでも黙示録17:17にあるように、この大変な状況の中でもこの世をご支配くださっているのはイエス・キリストです。力でご支配されているのではなく、目には見えなくとも、愛によってこの世をご支配くださっている。そのことを覚えましょう。

 最後に38節に注目してメッセージを閉じます。これはマリアの「天使ガブリエルへの応答」です。

 「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」

 「はしため」とは「使われる者」という意味です。まだ若いおとめでありながら、「神が自分に与えられた務めを果たそう。そのことで神の業が成ることを喜ぼう」ということをマリアは言ったのです。

 マリアはこの時、自分に与えられた大切な務めをすべて理解していた訳ではないと考えます。たくさんの苦難の中で「神の子救い主を産み、育てる」ということがどれだけ大変だったでしょうか。先に分かっていたら逃げ出したくなったかもしれない…と私は思います。

 しかし、色々分からない中で、「神に委ねること」そして「神が自分に与えて下さる役目を果たそう」という思いをもったこのマリアの姿勢を、私たちも心に留めたいと願います。

 私たちも分からないことが沢山です。イエス・キリストの誕生の仕方も、神が人となって生まれられたことが自分の救いと繋がるということもきちんと理解できないかもしれません。

 しかしながら、イエス・キリストを私たちのためにクリスマスにお与えくださった「愛の神」に自分を委ねることが大切だということを、今日の聖書箇所から受け取っていただいたら幸いです。

 コロナのこともあり、先のことが見えなかったり、不安を覚える日々の中ですが、クリスマスにこめられたメッセージを心に留めつつ、希望を持って歩んでまいりましょう。 (祈り・沈黙)

 

≪説教はPDFで参照・印刷、ダウンロードできます≫

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