8月4日説教 「私たちにできる助け」
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
聖書:使徒言行録16:6~15
今回の箇所では「私たちの所に来て助けてほしい」と懇願するマケドニア人の幻をパウロが見て、海を越えてギリシャのマケドニア州フィリピへと旅立ち、ある行動を起こしたことが記されます。町の祈りの場と思われた「川岸」にパウロたちは行って「キリストによる福音」を伝えるのです。私たちの身の回りにも、そして世界中にも「助けてほしい」という声が溢れています。もちろん実際的に「目に見える形で援助」することも必要です。イエス・キリストも実際的に困っている課題から救われましたが、一義的になさったのは「魂の救い」でした。 主イエスの弟子である私たちにまず求められるのも「魂の救い、主にある癒し」です。「助けて下さい」を「相手の現状を力づくで変える」と捉えることは大きな間違いです。相手を助けるのは「神を置いて他にない」ですし、「相手の助けてほしいことを自分は分かっている」と思うことは高慢です。逆にパウロの行動を心の目に焼き付けましょう。たとえ大河の一滴と思われても「祈りの場に行くこと」つまり「祈る」ことがすべての行動のスタートであり、助けの一歩目であることを、今一度覚えましょう。それが主の望まれる「平和の第一歩」だと信じます。