「赦しの神」12/12隅野徹牧師

  12月12日 降誕前第2主日礼拝
「赦しの神」

隅野徹牧師
聖書:エレミヤ書31:31~34

説教は最下段からPDF参照・印刷、ダウンロードできます。

 先々週から「主を待ち望む期間であるアドベント」に入り、今日はアドベント第三礼拝です。今年は、クリスマスまでの礼拝で、「約束の成就」という視点からのクリスマスメッセージを語らせていただいています。今回は「神の独り子イエス・キリストのご降誕」を「新しい契約の成就」として預言した、旧約聖書エレミヤ書の31章31節から34節を取り上げます。

今回の箇所を理解する上でのキーワードは「契約」という言葉です。4節の間に4回も出ます。契約という言葉は「法律用語っぽくて、硬いイメージがあるから嫌だ」という方もおられるでしょう。しかし旧約聖書、新約聖書はともに「神の契約が記されている書」ですから、今朝少しでも「神の契約」ということを知っていただいたら幸いです。

まず、ここで出てくる契約が、私達が日頃使っている「契約」とどこが同じで、どこが違うのかを考えてみましょう。

(例:工事の請負契約書など) 違反があると契約を破棄できるということが契約書に記されています。双方が責任を負うのが世の中一般の「契約」であります。 

しかし、神がイスラエル民族をはじめ、私達人間と交わしてくださる契約は「片務契約」なのです。片務契約とは、契約を結ぶときに片方だけが誓うことで、なされる契約です。

皆さんは、「片務契約」という契約はこの世にはめったにないと思われるかもしれませんが、そうでもありません。分かりやすいものでは「遺言の契約」が典型的な片務契約に当たるのです。

遺産契約を思い浮かべてください。(間)これは、遺産を残す側の人が「一方的に立てる契約、別の言葉で言えば約束」です。相続する側には何の義務もありません。相続放棄さえしなければ遺産を手にすることが出来ます。実は、神と私達との契約を「遺言」にたとえる表現は、新約聖書のガラテヤ書3:15、ヘブライ書9:16などに出ます。興味のある方は、ぜひ家で読んでみてください。

 遺言のことはここまでにして、今から神が実際に「片務契約」を結ばれた場面の聖書箇所を皆さんと開いて読みたいと願います。開けていただきたいのは、旧約聖書P11の創世記9章です。 ノアの箱舟の洪水の後、神がノアと契約を結ばれる場面です。 9節から17節を私がゆっくり読みます。(※よむ)

 ここでは神が「二度と洪水によって、人間をはじめとする生き物を滅ぼすことはしない」といって契約を立てられます。そのしるしとして「虹」を示されたのです。

(※重要)人間が罪に満ちたものであることをよくご存じで、「創造そのものを後悔もされた神が」それでも「二度と、すべての生き物を滅ぼすことはない」と約束され、契約を立てて下さったのです。この「罪人をも愛する愛」によって私たちは生かされています。

 さて、この契約を受けたノアの側は何かしていたでしょうか?よく聖書をみると、ノアは何もしゃべっていません。ただこれを聞いていた、つまり受けるだけだったのです。

ノアがこの契約の時、「わたしも二度と神の前に悪いことはしません」と誓ったのではありません。続きの9章18節からの部分では、ノアが「あきらかに悪いこと、神の前に罪を犯している」のですが、しかしそれで神の立てられた契約が無効にはなっていないのです。 

「神の契約は、神の愛・憐れみによって一方的に結ばれたものだ」と理解することが今日のメッセージを受ける上で大きなポイントとなります。これまでお話ししたことを心に留めて、今日の聖書箇所である、エレミヤ書31章を読んでまいりましょう。(もう一度旧約聖書P1237をお開けいただけますでしょうか)

 まず31節32節からです。(この2節を読んでみます)

31節で神は「新しい契約をイスラエルと結ぶ日がくる」と仰います。「新しい契約を結ぶ」ということは「もともとあった古い契約があって、それを更新する」という意味です。

今12月はちょうど、プロ野球選手の「契約更改」がニュースになる時期です。野球好きでない方のために説明しますが…今年1年の活躍ぶりをみて、「来年はこれぐらいの金額に変えよう」と球団が提示をし、それをみて選手が「サインをする」というのが「プロ野球選手の契約更改」です。

これと同じように、神からの契約もずっと同じではなく「更改、更新」されるのです。

更新される内容は33節以降で出ますが、まずもともとある契約が記されている32節に注目します。

ここで「エジプトの地から導き出したときに結んだ契約」が出ます。これは出エジプト記の19章以降に出るものです。

ノアに対して「すべての生き物をすべて滅ぼすことをしない」と契約された神は、アブラハムを選び、彼に対して「あなたの子孫を祝福する」といって契約を結ばれました。

そのあと、アブラハムの子孫たち、つまり「イスラエルの民たち」はエジプトで奴隷状態になっていました。その民たちを、神は特別に救い出し、エジプトから約束の地に連れ出されました。その途中のシナイ山で、神はモーセを通して「神の掟である律法」をイスラエルの民たちに与えられました。

具体的にわかる「言葉で」神の御心を伝え、これを守るように求められたのです。ノア、アブラハムを通して結ばれた神の契約が、ここで「より具体的なものとして」結び直されたのです。

今日は実際に開けてみることはしませんが、出エジプト記19章8節この契約が立てられたとき、民たちは「主が語られたことをすべて行います」と言ったことが記されています。これはいわゆる口約束だと私は理解します。

 実際、このあとすぐに「金の子牛事件」を起こします。イスラエルが真剣に考えて合意した契約というよりは、やはり先ほど見た「神からの一方的な片務契約だ」と私は理解します。

32節の後半に「わたしが」つまり「主なる神が」イスラエルの主人であった、つまり特別に契約を立ててくださったのに、それを「イスラエルが破った」とあるとおり、彼らは「契約を無視した」状態だったのです。

普通であれば、契約を切られるような状態です。しかし!愛の神はそれでも見捨てられません。なんとその状態にもかかわらず「新たに契約を結ぶ」と、預言者エレミヤを通して約束してくださったのです。

 次にその「神が新たに結び直してくださる契約」の中身が記されている33節34節を見てまいります。(※ゆっくりよみます)

この前に結ばれた契約は、「石の板」に刻まれたものでした。モーセがシナイ山で律法を授かる場面をご存じの方も多いと思います。映画やアニメなどでも描写されることの多いシーンです。しかし、このとき記された掟はユダヤ人だけに届いたものでした。そして直接契約を結ばれたユダヤの人達の心に届いたとは言い難く、残念ながら民どうしで教え合っても「神の御心を知る」ことには至らなかったのです。ファリサイ派や律法学者たちのように掟を「自分たちに都合よく教える」ということが多く起きました。

しかし!神が新しく結んでくださる契約は「人の心に記され」ます。しかも、ユダヤ人だけでなく、多くの人々に届くものであることが示されます。そして何より「人の心そのものが大きく変えられる力がある」ことを示しています。何によって多くの人々の心が変えられるのかというと、それは「罪人の私達を赦す、神の愛」なのです。

34節の最後に出るように、神は「新しい契約によって、神は人々の悪を赦し、再び罪を心に留めることはない」と約束されるのです。

 もちろん、この契約が「人となってこの世に来られた、神の独り子イエス・キリスト」によって完成したことは言うまでもありません。

最後に、御子イエス・キリストを通して「神が結んでくださった新しい契約」が、今日の説教題にもつけた「赦し」にどうつながるのか、新約聖書・福音書の言葉を味わって終わりましょう。

あちらこちら開かせてすみません。これが最後です。新約聖書P53をお開き下さい。マタイによる福音書26章の26~29節を読みます。 (※ゆっくりよむ)

これは有名な「最後の晩餐」の場面ですが、これが今キリスト教会で大切に守っている「聖餐式」の原型になっています。とくに28節にご注目ください。

この言葉は聖餐式でいただく「ぶどう酒・ぶどう液」が、罪が赦されるように神が結んでくださった契約のしるしなのである、とイエスご自身が示して下さっているものなのです。

来週のクリスマス礼拝では聖餐式をもちます。わたしたちはクリスマスに「人となってこの世に来てくださったイエス・キリスト」によって「新しい契約を結んでいただいている一人ひとり」なのです。

私たちが「救ってください」と頼んだから、キリストは人となってこの世に来てくださったのではありません。今日学んだように、「神が一方的に契約を立ててくださり、愛のゆえに罪を赦し、救おう」として下さっているのです。

私たちは「感謝して、これに与るだけ」です。罪人を見捨てず、それでも愛しぬかれる神に感謝しつつ、まだこの「神の愛」を知らない方々が、クリスマスに一人でも多く知ることができるように、祈ってまいりましょう。

 (祈り・黙祷)

 

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