さて、朝の観光散歩を終え、会場について、二日目は、法の分野から平川宗信氏(名大名誉教授,中京大学法学部教授)の政教分離の法治国家での宗教教誨師の立ち位置と、被害者の苦しみとの関連の中で、加害者に寄り添う立場の宗教教誨の務めが明確に語られました。
加害者側の救いに関わることが出来ても、事件に落胆している被害者側の心情を、加害者との関連でどのように考えて良いのかという葛藤を抱えておりましたが、宗教教誨師とはそもそも何かという原点を示されたことで、自らの役割を自分の中でも明確にする機会が与えられ有意義でした。
また、平川氏は、法研究者として、また御自身、真宗念仏者として、被害者、加害者の救済を考えるとき、死刑廃止以外に道はないと明言なさいました。これは、全国教誨師大会開催以来初のことであったようで、質疑の時間では、沢山の質問が平川氏に寄せられ、丁寧にお答えになっていました。
その中で、大変印象的であったのは、平川氏が、被害者が望んでいるのは、自分が落とされた崖に、加害者を引きずり下ろそう、あるいは、その先にまで落としてやろうということが一番ではなく、元の状態にもどりたいという、もはや引き戻せえない事件前の状態に戻ることであって、その想いを受け止めようともせず、崖の上にいる第三者である私たちが、加害者を、崖から落とすことが妥当なのでしょうか、という問いが投げかけれました。「全ての人と共に歩む」仏教念仏者である平川氏の「死刑制度」への真摯に向き合ってきた、実存をかけた結論をここに見る思いが致しました。
重ねて平川氏は「死刑執行」は、すなわち人を殺すということであり、施設職員含め多くの人の手を合法的殺人に手を染めさせるということで、ここに救いはない、とおっしゃいました。
人の死を求めるところに「殺意」があります。法的に「殺意」が助長され、許される社会から脱却し、人のいのちの尊厳が保たれる社会へと意識的にも法的にも成熟する必要があるように感じます。
福音を背骨として地域に立ち、福音伝道と共に、この世のいのちと魂に配慮するキリスト教会固有の働きとは何か、熟考の機会が与えられました。