教会創立について
1886年(M19)4月アメリカ南部メソジスト教会のランバス(関西学院創設者)等が、神戸を拠点に瀬戸内海沿岸主要都市の伝道(瀬戸内伝道圏構想)を開始。12月ランバスは山口に入りましたが伝道開始には至りませんでした。
1890年12月メソジスト教会の伝道者としてはじめて高田繁吉が山口に入ります。
1891年(M24)2月女性宣教師であるミス・ケート・ハーランが山口に入り本格的に伝道を開始しました。彼女は青年たちに英語を教え、補助者・堀江みよ(後の高田繁吉の妻)と共に料理、裁縫を教えながら聖書について教えはじめました。彼女の信仰に培われた人格に魅せられ求道者が続出しました。
ランバスがこの一帯を巡回した時、彼が英語を学ぶ学生に「求道の志なきや」と尋ねると、12名が洗礼を志願しました。そこでランバスは、1891年4月宣教師シメオン・ショウ夫妻を山口に派遣します。二人はハーランと共に宣教活動に奮闘。7月26日中市の講義所において12名がシメオン・ショウによって洗礼を受けました。受洗者の中には、後に伝道者として活躍した中村金次、日野原善輔(日野原重明医師の父)がいました。当教会は、この12名の受洗の日を創立記念日と定めています。
会堂・聖餐卓・講壇について
1892年(M25)7月、シメオン・ショウによって、後河原(うしろがわら・現在地)に会堂(初代)が献堂されます。
講壇は日野原善輔牧師が、講壇後ろの三つの椅子は中村金次牧師が寄贈し、現在も使用しています。
1907年(M40)4月旧会堂(二代目)竣工。田中義弘牧師の時代に、W・T・キャラハン宣教師が会堂設計を本間俊平(キリスト教社会事業家)に予算1,800円(当時)で依頼しました。工事監督は戸田邦輔が行いました。
会堂建築にあたっては、アメリカ合衆国ジョージア州メイコン市にあるヴァインヴィル・メソジスト教会より多額の献金を受けました。
1991年、創立100周年(矢吹一夫牧師/現在、本所緑星教会・東京/時代)の記念事業として、現在の会堂を献堂し牧師館を建て直しました。
聖餐卓と花瓶台について
1931年(S6)の秋、柳宗悦の図案と監督の下、現在も使用している聖餐卓と花瓶台を鳥取市にて作成しました。
教会の建物・施設
教会墓地(共同墓地)は教会の敷地内にあり、1999年(古賀博牧師/現在、早稲田教会・東京/時代)に「公園のような墓地」をコンセプトにつくられました。
モニュメントも含め墓地全体がモダンであるのが特徴です。