10/25(土)夜、教会が大好きで大好きでたまらなかった、85歳の大切な教会の女性のメンバーが昇天なさいました。
聖歌隊の練習は遅刻せず、礼拝は毎週出席。祈祷会は一人でもメンバーが増えると大喜び。
元気印の方だっただけに、大きな喪失感に教会が包まれています。
教会の一人一人は「神の家族」と聖書は伝えます。
生前故人は、この「神の家族」全員のために祈りを欠かさず、祈る人のリストを毎年直筆で更新し、旅先にも持ち歩いて隣人のために祈る方でした。
いつも祈って決断し、困っている方には、具体的に力になることを厭いませんでした。
突然のお別れに直面し、ヨブ記の「主は与え、主は奪う。主のみ名はほめたたえられよ」という御言葉を、反芻し、厳粛に受け止めています。
故人は、牧師を大切になさる方でもありました。祈りのリストには多くの牧師名も連ねてありました。
ある牧師のためには「説教集」の出版の費用を、すすんで提供なさったとも聞きました。
前夜式、葬儀、納骨式を終え、水曜日の祈祷会は、追悼の祈祷会として、故人の思い出を語り合い、そして祈りました。
車いすになっても教会に通いたいと、教会に一番近いマンションに引っ越され、わずか半年でした。
永眠なさり、一週間が過ぎました。この一週間、「亡くなったのは本当ですか」という電話が、各方面から続きました。
電話口で泣き崩れる方、思い出を語って下さる方、沢山のお友達をお持ちでした。
お幸せだったと思います。
信じがたくも、動かしがたい現実を受け止め、故人の在りし日に、イエスさまが沢山の恵みを注ぎ、守り導いて下さったことを感謝するものであります。