「人は何者でしょう」
<聖書>詩篇8:1~10
鈴木恭子牧師(日本基督教団 下関西教会)
詩篇の作者は自然や宇宙の秩序・規則の背後に、それをお造りになった創造者がいらっしゃる、そして偉大な自然の中で如何にもちっぽけに見える人間を神様が特別に心に留めてくださることに驚いています。 神様が人を「ご自分にかたどって創造された」(創1:27)とあり、これは“霊”を人間にお与えになったことを言うのです。人間を“創造の冠”として造られた霊的なもの、人格的な存在とされ、“霊”が与えられ、神様のかたちに造られた私たちは、主権者である神様のみこころを知り、神様のみことばに従って生きることができるのです。 「主を畏れることは知恵の始め」(箴1:7)とあり、こ畏れる」とは“怖がる”ということではなく、この世界をお造りになったお方をまことの神様として敬うことです。人間は神様の助けがなければ生きていくことは出来ません。ですから、神様を敬うことは正しい知識を得ることの出発点なのです。神様が創造主であり、世界の支配者であることをまず認めて判断するのでなければ、人間の知恵や知識は空しいものなのです。 人が被造物にすぎず、自らの存在が全く無であることを自覚し、人が有限であり、無限な神様がその者を顧みてくださるのです。 |