「呼ばれる声にいつも応えられるように」
<聖書>
イザヤ書6:1~13
ST牧師(日本基督教団 教師)
イザヤは9~13節の予告通り、神の言葉を語るたびに拒絶され、迫害を受けました。そんな時、1~8節の召命の日の経験が彼の力になったことを覚えましょう。自分の語る言葉が受け入れてもらえない、そして語る相手に対して罪深さを強く感じる…そのような場面で「自分も一人の罪人であること」「そんな自分が万軍の主である神様によって呼ばれ、その声に自ら応答した」経験は用いられたのです。 私達もイザヤとは違いますが、それぞれ「あなたをここに遣わしたい」という場所や務めがあることを覚えましょう。神様は私達を罪深さに気付かせられますが、それで終わりにはされません。私達を赦し、きよめることをしてくださり、私達を「ここに遣わしたい」という場所、務めに送る準備を整えてくださいます。その準備が整ったあとで神様は強制的に務めにつかせるのではなく、「誰を遣わすべきか」と語られるのです。それは私達が、自分の意思で応答し「神様、私を遣わしてください」と答えるのを待っておられるからです。 |