2月3日説教 「わたしの中身を調べる」
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
聖書 ルカによる福音書11:29~ 36
後半34節、イエスは「ご自分の言葉を聞く人のともし火について」語られます。その人を明るくする、その人を輝かすともし火…それは「目」だと言われるのです。ここに「目が澄んでいれば」とありますが、前の箇所とのつながりで理解するなら「目が澄んでいる」ということは、しるしを欲しがらないことになるでしょう。つまり、目に見える病の癒しや苦悩の解決や物質的な豊かさをもって神を信じる根拠としないということです。そうではなく「イエスが語る言葉」や「聖書の言葉の中に、神の言葉を見出すこと」が「目が澄んだ状態、体全体が明るい状態」だということです。 続く35節でイエスは人々に、そして私達にも「あなたの中にある光が消えていないか調べなさい」と言われます。もし目が濁っていて、み言葉に神の生きたしるしを見ることができなかったら、私たちの心は、不平不満や疑い、投げやりで満たされることになってしまいます。そうならないためにも、自分の「心の目」を調べる大切さが教えられます。 36節に教えられたような、完全な意味で「全身が明るく、少しも暗いところがない」状態に私達がなるのは難しいと感じるでしょう。しかし、神、イエスは光り輝く栄光に満ちた方です。この方の「輝き」は、み言葉を蓄えることによって、私達も宿すことができると信じます。