6月14説教 ・聖霊降臨節第3主日(子どもの日・花の日)合同礼拝
「神さまの畑として花を咲かせていこう」
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
聖書:コリントの信徒への手紙Ⅰ3:5~9
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今日の「花の日礼拝」は、目の前にたくさんのお花が並べられている中で礼拝を持っています。この花はどれも皆きれいですね。でも今朝はとくに!「この花たちが育った畑」について、つまり「花壇や森の土について」考えてみることにしましょう。
土は目立たないけれど、とっても大切な役割を果たしていることを知っていますか?
①まず土は雨の水をきれいにして蓄える働きをします。それで花などの植物に水分を与えます。でも…ただ植物に水分を与えるだけではなく、多くの水分を貯める、蓄える働きもしています。大雨や台風のとき、洪水を防ぐなど自然災害を和らげる働きをするのです。
②そして…土は、花や木の土台となって支えることもします。この教会は春ごろ桜の花がきれいに見られますが、あの大きな重い桜の木も、土がささえているからこそ咲いているのです。台風がきても根っこがしっかり土にくっついているから倒れないのです。
③また、土で生きるのは花や木などの植物だけではありません。小さな生き物や虫のすみかにもなっています。その生き物たちは土の中を這いまわっています。またふんなども出されます。でもそれが花や木の栄養となって成長を助けるのです。
このように土は、水を貯えたり、木や花に根っこを張られることによって「支えたり」、小さな虫や生き物のすみかになったり、また這いまわられたり…実は「大変だ」と先生は思います。でも土が頑張っているからこそ、この綺麗な花たちは咲くことができるのです。
今日みんなと見る聖書の箇所は「私たちも、神様の畑の土として豊かな実りをもたらすひとになりましょう」。そして「神様が造られた世界を目立たなくても支える人として生きていきましょう。」ということが教えられています。聖書の言葉を学んでいきましょう。
今日の花の日礼拝に選んだ聖書の言葉は、「コリントの信徒への手紙Ⅰ」です。 これは、もともとパウロさんが「コリント」という町にある教会の人々に向けて書いたものです。
コリントの教会は、パウロさんが最初に建てた教会でした。この手紙をパウロさんが書いた頃は、アポロさんという人に先生が変わっていました。
そして…教会には問題が起こったのです。それはどんな問題かというと…、ある人が『わたしはパウロにつく』と言い、他の人が『わたしはアポロに』などと言っている」というように、教会内でグループができて、お互いが対立し合ってしまったのです。
どうしてこんな問題が起きたのかというと…コリント教会の人たちが神さまを中心にするのではなくて、「パウロさん、アポロさん」という人間を中心にして教会を動かそうとしたからです。それは間違っているよ!ということをパウロさんは教えるのです。それが5~7節に書かれています。
ここから分かること、それは「パウロさんも、アポロさんもコリント教会を育てるために神様が送ってくれた働き人に過ぎないのだ」ということです。
最初にパウロさんがコリントの街に教会を作りました。そしてアポロさんがコリント教会を育てました。でも大切なのは「最初に教会を作った人でも」「その後に育てた人ではなく」神様なのです!
人間の目には、教会は人が作り、その後も人が大きくしたりしているように見えます。でも、目には見えなくても、神様ご自身が教会をつくり、成長を導いておられるのです。
ついこの間まで、新型コロナウイルス感染拡大の影響で私たちの教会もみんなで集えないときがありましたね。 隅野先生をはじめ、人間の力ではどうすることもできませんでした。 神様が守って下さらなければ、そして必要なことを整えて下さらなければ、教会は立っていけないことを感じました。
これは教会のことだけでなく、みんなの家族にも同じことがいえます。お母さん、お父さんによってみんなはその家の赤ちゃんとして誕生しました。おじいちゃん、おばあちゃんや周りの方々、学校や幼稚園の先生にも育ててもらいました。
でも、必要な食べ物や水、時間や健康…そういったものを与えて下さる方がおられるからこそ生きていけるのです。世界の創り主である神様に目を向けず、人間だけを見て、「あの人には感謝しよう…でもあの人はとくに何もしてくれないから嫌いになろう」とか考えていたら、コリント教会の人たちのように、ケンカや争いが起きます。 思う通りにならないことが多いかもしれない。でも毎日神様に感謝の思いをもって大きくなりましょう。
最後に、みんなが「成長させてくださる神様」をいつでも感じながら大きくなっていくために大切なことをお話しして話を閉じます。それは「私たち自身を神様の働き場にする」という思いをもって毎日を過ごすということです。「私たち自身が神様の働き場だ」ということを思い出しながら生きることは、大人も子どももみんな同じです。それは隅野先生のような教会の先生も、みんなのように「聖書のお話しを聞く側の人も」みんな同じです。 このことは今日の聖書箇所の8節と9節に出てきます。
とくに注目するのが9節の終わりの少し前にある「あなたがたは神の畑」という言葉です。コリントの人は驚いただろうな…と隅野先生は思います。
「私たちは畑だって!? 私たちは先生たちが植えた植物じゃないの?」
つまり…どういうことかというと、コリント教会の人たちは「自分たちは有名な先生によって植えられ、育てられている花や野菜だ」「パウロ先生に育ててもらった人として、ただそこにいるだけでいいんだ…」などと思っていたということです。 パウロさんは、この考え方が間違っていることを教えるために「あなたたちは、神様の畑なんだよ」と伝えたのです。
畑は何のためにあるのかというと、花を咲かせたり、野菜を実らせたりするためですよね。建物が「立っているだけでは意味がなく、その中で何かをしてこそ建物としての意味がある」のと同じです。
「ただ何もしないで、いるだけでよいのではない!あなたたちは、何か神様の実りを生み出すものになりなさい!」そうパウロは薦めているのです。この言葉は隅野先生の心にも深く迫ってきました。
ここにいるわたしたち一人ひとりも「神様の畑」として用いられることを願っています。私たちの人生を通して綺麗な花を咲かせたりしましょう。その花を見た人が「造り主である神様は素晴らしいな」と感じてもらえるように。
成長させてくださる神さまにしっかりつながって、神様の尊い業が私たちを通して働いていくことに喜びを感じましょう。神さまは必要なものをすべて用意しておられます。私達は、その神さまに信頼し、やるべきことしましょう。神様は素晴らしい!そう感じられる、信じられる人が、ここにいるみんなを通して生まれていくことを祈り求めてまいりましょう。(祈り)
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