「神の国に入るのが難しい人」8/16 隅野徹牧師

  8月16説教 ・聖霊降臨節第12主日礼拝
「神の国に入るのが難しい人」
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
聖書:ルカによる福音書18:18~25

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 今朝の聖書箇所は、ルカによる福音書18章の18節から25節です。

「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」というイエスの言葉は、大変インパクトがあります。聞いたことがあるぞ…と思われたことでしょう。

 一方で「この箇所の教えが大好きだ」という人もおられないのではないかと思います。「自分はお金持ちだ!」と自負しておられるという方は少ないでしょうが、22節の「持っているものをすべて売り払う」という教えに嫌悪感を覚える!というのが原因だと思います。

 しかし!この箇所も深い教えがなされているのです。もしも「持っているものをすべて売り払って、施しをしなければ神の国に入れない」のであれば、牧師である私も神の国には入れません。 

 一方で私は、この箇所の教えから「確かな約束」「この世の目に見える物とは違う、揺らぐことのない、神の国への希望」を見て取りました。 先にお話ししますが、すべて所有物を手放せない私ではあるけれども、ここでのイエスの教え・命令に従って神の国に確かに行きたい!と思わされたのです。

 皆様も、この箇所を新たな思いで味わっていただければと思います。

 まず18節です。(※読んでみます)

 ある男が、イエスに「永遠の命を受け継ぐためには何が必要か」と質問します。この質問をした男ですがマタイによる福音書では、「金持ちの青年」と記されますが、ルカによる福音書はこれに加えて「議員」だと記します。このことから、彼は「ただ財産を多く持っていた人」ではなく、周りの人々に信任されるような人だったのです。

 その彼がイエスに自ら近づいていったのです。他の聖書箇所では「ファリサイ派や律法学者たちがイエスを試すために近づく」場面が何カ所も描かれますが、この人はそういう思いではなく、純粋に「分からないことをイエスに質問するために近づいた」と考えられます。それはイエスとの問答の後「悲しみながら去って行った」ことからも確かです。

 私は聖書のよみが浅かった頃、この「金持ちの青年議員」に対し「悪者のようなイメージ」を勝手に持っていましたが、そうではないことが聖書を注意深く読むことで分かりました。ヨハネ福音書3章などで登場する、「ニコデモ」もファリサイ派の議員だと記述がありますが、金持ちの青年議員もニコデモと同じような求めをもって近づいた…そのことをまず頭に入れましょう。

 つづいて19、20、21節です。(※読んでみます)

 ここでのイエスの答えは、神の子で「相手の心の中をすべてご存知」だからこそのものです。神の御心であり、神の求められる「義さ」について教えている律法の掟をすべて完全に守れるのなら、それで永遠の命を得ることはできます。しかし、弱く欠けを持った人間は、律法・掟を完全に守ることはできないのです。

 結局、私たち人間は「自分が弱く不完全で、神の御心を行えない」罪を犯してしまうことを神の前で告白し、特別に赦していただく以外に永遠の命を得ることはできないのです。

 しかし!自分の力によって「律法を完全に守ろう。そのことによって、神から義とされて、永遠の命を得られるのだ」と考えなら、必ず行き詰るのです。21節で金持ちの青年議員は「十戒に代表される掟はすべて守っている」といいます。この告白に嘘はないのでしょう。でも、それで「永遠の命を得られる」という平安・希望は得られなかったのです。だからイエスにわざわざ質問しに来たのです。

 神の掟は知っている、実際守っている…でもなにか心もとない…そう感じている彼の心。私たちも感じたことはないでしょうか?

 私にもあります。「毎日曜日に礼拝に出ている。教会で奉仕もしている。献金もしている。でも…どこか平安がない…」そんな思いです。

 そんな心からの平安を持てない「私たち一人一人への諭し」が22節以下だと受け取っていただけたらと願います。つまり「この金持ちの青年議員だけに語られた、特殊な教え」なのではなく、財産が多かろうが少なかろうが、私たち一人ひとりの心に平安を与えるためのメッセージとして受け取りましょう。(※22~25節を読みます)

 ここでの教えを「献金の勧めだ」とか、極端なものになると「新興宗教のように全財産をささげよ」と取る人がいますが、それは間違いです。これは「永遠の命を得るための教え」別の言い方で「神の国に入るための教え」です。一番大切なのは22節の最後に出てくる「天に宝を積んで、救い主イエス・キリストに従うこと」なのです。

 その上での確認ですが、聖書は「財産を持つことが罪だ」とはどこにも教えられていません。金持ちだから「神の国に入れない」のではないのです。そして「ささげつくさないと神の国に入れない」のでもありません。そうではなく、私たちの心が「本気で神・キリストに従おうとしているか」そこが肝心なのです。

 財産そのものは悪ではありませんが、往々にして「財産を多く持つこと」は「神・キリストを信頼して生きていくこと」の妨げになるのです。

 神に信頼しないで自分の力だけで生きているような感覚に陥りやすいと言われます。

 25節の「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」という言葉がまさにそれを表しているのではないでしょうか?

 「金持ちの青年議員」の心にどこか平安がなかった…それは「心から神に信頼しないで財産や自分の品行方正さを頼りに生きようとしていた…だからこそ、心の中をすべてご存知のイエスは、「あなたに欠けているものがまだ一つある」と言い、そして「財産をすべて売って、貧しい人に施して、その上で私に従いなさい」と勧められたのです。

 この「財をすべて売り払って、私に従いなさい」というお言葉は、裁きのことばではありません。「彼を愛されているが故の勧め」なのです。

 24節に「イエスは議員が非常に悲しむのを見て」とありますが、おなじ出来事が記されているマルコ10章では「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた」となっています。讃美歌21の197番「ああ主の瞳」の一番の歌詞「ああ主の瞳、眼差しよ、きよき御前を去りゆきし、富める若人見つめつつ なげくは誰ぞ 主ならずや」が表す通りです。

 厳しいと感じてしまいがちなここでのイエスの教えも、自分の持っている者に頼って生きていて平安を無くしている金持ちの青年議員を、真の平安に導くため、殻を破って「神に信頼しつくして生きるため」のお勧めなのです。

 この金持ちの青年議員と同じように、私たち一人ひとりをも愛される神の独り子主イエス・キリストは、私たちと同じ人間になってくださり、私たちと同じ苦しみを経験してくださり、そして私たちの罪の身代わりとなるために十字架で死んでくださったのです。そして死の力に打ち勝って、復活された主イエス・キリスト。このお方は、金持ちの青年議員と私たちを同じように愛され、導こうとなさることは間違いないのではないでしょうか?

 そうであるならば…私たちが自分の力や財に頼って生きようとしているのが見えた時、愛の故に何かお示しになると思うのです。

 私はどうかというと…、今回この聖書箇所を深く読んでいて、神の愛のお勧めが聞こえてきた気がします。最後に短くその話をさせて下さい。

 神から私が示されたのは「献身を決心した、あの頃の思いに立ち帰りなさい」ということでした。18年前、この教会で信徒生活をしていた私に主は献身の思いを与えて下さいました。しかし、この先がどうなるのかさっぱり分からない、ただ神を信じてその胸に飛び込む思いだったのを覚えています。

 誰一人知り合いのいない埼玉の神学校で寮生活でした。しかし「不安だから、あれこれ物を買って、それらに頼ろう」とはしませんでした。むしろ献身者生活をスタートさせるにあたり、いろいろな大切な物を捨てたり、譲ったりすることが多かったです。社会人としての経験も一旦すてて「神学生として」神に学ぶ日々。今思うと、大変だった一方で「神だけを信頼して歩んだ、大切な日々だった」と思えます。

 あれから18年経ち…妻や子供たちが与えられました。財的な物も必要は十分満たされています。牧師としての経験も積みました。皆さんのような素晴らしい方々との出会いも与えられました。聖書や神学についても知識をつけました。しかし…どこかそれら「得た物だけに頼ろうとする自分がいる」そのことを今回の箇所から強烈に示されたのです。

 再び18年前のような「一からスタートする」ことはしませんし、得た物を大切にすることが主の御心だと信じます。しかし!「主だけを信頼して日々を過ごしていた、あの時の思いに立ち帰ること」を大切にしたいと思わされました。そして「自分の持っているものをささげることは、神との信頼関係をより強固なものにし、天の国の希望をより強く持って歩めることにつながることを改めて確認しました。

 「全部ささげることをイエスは必ずしも求めておられないではないか」とか、「全部ささげるのは現実的に無理だから」とか言って開き直るのではなくて、神を信じてささげることは、どんな状況にあっても「神の国の希望」を確認できる、本当に大きな恵みなのだ…ということを覚えて歩み続けたいと願います。

 神のために、神の国全体のために、そしてこの教会のために、皆様のために「できるだけ自分をささげられるものになりたい」と思わされました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。共に歩ませてください。  (祈り・沈黙)

 

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