「羊飼いたちへの知らせ」12/20隅野徹牧師

  12月20日説教 ・降誕節第1主日礼拝・クリスマス礼拝
「羊飼いたちへの知らせ」
隅野徹牧師
聖書:ルカによる福音書2:8~20

説教は最下段からPDF参照・印刷、ダウンロードできます。

 2020年のクリスマス礼拝を迎えました。昨年のクリスマスの時点で、一年後このような状況になるとは誰も予想できなかったと思います。新型コロナウイルス感染拡大の社会への影響は本当に多大でした。密接に人と関わることが「あたかも悪いこと」のように捉えられ、この社会にはさまざまな「分断線」が引かれるようになったと感じます。世界中で対立の深刻化、人と人との分断が進んでしまった…それが2020年だったように感じます。

 でも!神はそれらの状態の中にあっても希望を与えてくださるお方だ、ということが聖書の「クリスマス物語」にははっきりと表れています。今朝は「羊飼いたちのクリスマス物語」について記された箇所です。共に御言葉を味わってまいりましょう。

 まず2章8節をみます。

 この8節だけからも「羊飼いの差別されていた状況」が分かります。この直前1~7節、イエス・キリストの誕生の箇所では、ローマ皇帝の強制的な命令によって、イスラエルの民たちは、自分の先祖の出身地に戻って住民登録を行ったことが記されています。 身重の状態のマリアと、連れ添うヨセフ…住み慣れたナザレの町からその時には誰も親戚がいないベツレヘムにむけて移動せねばならなかったことはどんなに大変だったでしょうか。 しかし、これには従わざるを得なかったのです。        

 先週もお話ししましたが、ローマ皇帝がわざわざ民にとって負担の大きい「住民登録の命令」を出したのかというと…それは「それまで以上に税金をとって、ローマ帝国の財政を豊かにするため」でした。要するに「税金の取りこぼしがないように」との思いから、人数を正確に計ろうとしたのです。

 このような皇帝のやり方にイスラエルの民たちはみんな不満を抱いていましたが、絶対的な権力と軍事力のまえに逆らうことができなかったのです。皇帝の出した住民登録も「嫌々ながら」だれも逆らえず、絶対にしなければならないことでした。

 そんな中、8節から分かるのは…絶対命令であった住民登録をしている様子が羊飼いたちには見えない、ということです。どういうことかというと…皇帝やローマ軍は、羊飼いを「税金を払えない、存在価値のないもの」として捉えていたのです。つまり人間扱いされなかった。人間として数にも数えられなかったことが分かります。

 聖書の言葉には表れていませんが、羊飼いへの差別はこれだけではなかったといわれています。

 まず、祭司や律法学者といった、イスラエルの「宗教指導者たち」は、羊飼いのことを「神の命令である安息日を守らず、神に礼拝をささげない罪人だ」と断罪していたのです。 貧しくて、生きていくために必死で、四六時中、羊の世話をせねばならなかった人に対し「罪人」のレッテルを貼り、差別していたのです。

 また、町に住む一般人も羊飼いを衛生面で差別していたといわれています。

 お風呂にも入れず、替えの服が十分にあるわけではない。そこにきて動物の世話をするお仕事。彼らが生きていくために、これしかなかった、その姿や体臭。それが差別の対象になったのです。「汚い!近寄るな!」 比較的近くに住んでいた町の人にさえ差別される。

 羊飼いたちは、「当時、もっとも差別を受けていた存在だ」といえるのです。

 しかし!そんな彼らに、神の使いである天使が「救い主の誕生を告げた」ことが9節で分かります。もっとも差別をうけていた羊飼い、しかも、神を礼拝できずにいた羊飼いが「世界で一番最初に」「救い主の誕生という」喜ばしい知らせを聞いたのです。しかも、彼らが求めていたのではありません。突然、びっくりするようなタイミングで「神のほうから」知らせを告げられたのです。13節、14節では「天の大軍も加わること」によって、それがどんなに喜ばしい知らせなのかをより鮮明に伝えているのです。

 天使が告げた内容を深めましょう10~12節をよみます。

 12節の言葉から「なんとか、羊飼いたちを救い主に会わせたい!」そんな神の思いが伝わってきます。もし主イエスが宿屋で生まれていたら、羊飼いはその建物への立ち入りを禁じられたことでしょう。しかし家畜小屋の飼い葉桶の中に寝かされていたからこそ、羊飼いたちは会いに行くことができたのです。神の御計画の深さを感じます。

 一方10節11節では「救い主の誕生」が、あなたがた羊飼いのためであり、そして「民全体にとって」大きな喜びだと伝えられています。イエス・キリストは貧しい人を救うためだけに来られたのではありません。財産をいくら持っているか、どんな暮らしぶりかに関係なく、すべての人間は罪をもって生まれます。その罪のために全ての人間は苦しみもがきます。しかし、イエス・キリストは「すべての人間の罪の身代わりとなり、罪から救い出すために」この世に生まれてくださったのです。

 神の愛は、全ての人に平等に注がれます。そこには分断も格差もない!このことをクリスマス物語から心に留めていましょう。   2

 そして実際に羊飼いたちが主イエスに会いにいった場面が描かれている15節16節を見ます。

 この部分では羊飼いたちの喜びに満たされた様子がせまってきます。 何か生活が変わったわけではありません。この後もきっと、苦しく、貧しい生活状況がつづいたことでしょう。

 しかし!そんなどん底ともいえる羊飼いの現状を神は御存知だということに励まされたのです。「誰にもわかってもらえない」そう思うことも多かったでしょう。しかし神の目は、差別され、ときには「数にさえ入れられない」小さな存在にも確かに注がれていたのです。

 この頃は「人の噂」ぐらいしか情報源がない、情報社会の現在とは全く違うそんな時代でした。ましてや、町に住む人々と断絶していた羊飼いにとって「救い主の誕生」という喜ばしい出来事も、本来なら伝わることはなかったはずです。しかし!他でもない神御自身が天使を遣わし、羊飼いたちに、この喜ばしい知らせを伝えた。そしてこの言葉を信じて救い主に会いに行ったところ…約束通り「家畜小屋の飼い葉桶の中にいる赤子」を見つけたのです。

 普通は、家畜小屋の飼い葉桶にいるはずのない「人間の姿をとった赤ちゃん」。そのお方を見て、これは普通の赤ちゃんではなく「神が送られた救い主だ」というたしかなしるし・証拠を見て取ったことでしょう。

 そして「この子は、人々を寄せ付けない高貴なお方なのではない!自分たちの貧しさや苦しさの中に身をおいてくださる救い主だ!」ということを心から感じたことでしょう。天使が知らせた言葉通り、「本当に大きな喜び」がそこにあったのです。

 私たちも、羊飼いが思っていたような心境になることはないでしょうか。「自分は不当な苦しみを受けている」とか「こんなに一生懸命生きているのに、どうしてこうなのだ」とか…。そんなとき、羊飼いだけでなく、ご自分へも喜ばしい知らせは伝えられている、そして「苦しい状況の私とともに救い主はいて下さるのだ」ということに慰めと励ましを受けていただいたらと願います。

 最後に、この出来事を通して、羊飼いと町の人々の関係がどう変わったかを見てメッセージを締めくくります。17節から20節です。(読んでみます)

 イエス・キリストの誕生を心から喜んだ羊飼いたちは、その喜びを自分たちだけの秘密とすることはしませんでした。17節からは、差別をしてきた町の人にこの喜びを伝えたことが見てとれるのです。

 まだ主イエスを見ていない町の人々は、羊飼いが近寄ってきたとき、いつものような「近づいて来るな!」というようなことを思ったでしょう。でも18節にあるように、羊飼いの話を「しっかりと聞いている」のです。

 これは、羊飼いたちの話す表情がいかに喜びに満たされていたかの現われだと私は思うのです。 相手が自分を悪く思っている。そのことを超えて「喜びを分け与えたいのだ」という思いがあったのではないでしょうか。

 旧約聖書のネヘミヤ記の8:10に「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」という言葉がありますが、まさに羊飼いの「救い主を喜ぶ」ことは、大きな力となって、「分断や差別」を壊すに至ったのです。

 「主を喜ぶこと」それは苦しい状況を耐え忍ぶ力となるだけでなく、格差、差別をも打ち破る力となるのだということを聖書は教えます。

 ぜひ、この喜びを世界中のひとりでも多くの人が知って、「コロナ禍にあっても」人と人とを隔てている壁が無くなっていくことを願います。

 今日のクリスマス礼拝では、一人の姉妹が、正式に私たちの教会員として加わって下さいます。心から感謝します。すべての人を愛し、救うためにこの世にきてくださったイエス・キリスト。このお方をともに喜ぶ仲間が増えることは何よりの喜びです。

 私たちも羊飼いがクリスマスに感じた「心からの喜び」を同じように持ち続け、この世を少しでも愛で満たしてまいりましょう。(祈り)

 

≪説教はPDFで参照・印刷、ダウンロードできます≫

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