「貧しきことは幸いなこと?」
<聖書>ルカによる福音書6:20、24
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
聖書は、私たちが信仰を持つことによって「弱さや貧しさ」から抜け出して力をつけ、「より立派な者になっていき、救いを得ることができる」とは言っていないのです。そうではなくて、私たちは十字架につけられて死ななければならない罪人であり、自分の力で救いを得ることはできないのだ、と言っているのです。その私たちの「自分ではどうすることもできない罪」を、神の独り子イエス・キリストが全て担って十字架にかかって死んで下さった。そこに神による赦しの恵み、救いがあると教えているのです。それが聖書が教える「幸いなこと」なのです。
この世の常識では「十字架の上のイエス・キリスト」は、ただ惨たらしい処刑にあった、一宗教指導者にすぎません。しかし、その十字架上のキリストを「自分の心の貧しさ・罪から救い出すために、身代わりになって下さった救い主だ」と信じるところに、天国・永遠の命につながる幸いがあるのです。
10月8日説教