7月15日説教
「全世界を手に入れることより価値がある生き方」
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
聖書 ルカによる福音書9:21~27
23節で、イエスに従うために、「自分に与えられた十字架を負うこと」が教えられます。「自分の十字架」とは何なのでしょうか。一つ目は、「自分が神から与えられた苦しみとしての十字架」です。 苦しみがなくては人間が成長することはありえません。神は成長のために、私達に敢えて「苦しみ」を与えられます。それは体調不良での苦しみかもしれません。環境や境遇の苦しみかもしれません。一人ひとり、負うべき「苦しみの十字架」は違います。苦しいですが、主の足跡にならって「与えられた苦しみ」を自分の使命として担いましょう。 それを理解し、祈りつつ神と共に「苦しみの十字架を負うなら」かならず主の御心にかなった人生を送ることができると信じています。 二つ目は「他者に対して自ら痛みを負う、という意味での十字架」です。「イエスの十字架の苦しみ」それは、私達すべての人間に対してのものです。私達を罪から救うために、罪の身代わりの生け贄として「痛みをおってくださった」のです。つまり「私達を愛するからこそ」負われる痛み、なのです。 誰かのために、自分が代わりとなって痛みを負う。また同じ思いになって「その苦しみを一緒に担う」。また「自分の考えや思いを捨てて相手に寄り添う」ことや「自分のもっているものを、困っている人に差し出す…」そういうことが「イエスの教えられる十字架を負う生き方の二つ目の大切です。