「神の独り子をも殺してしまう人間の罪」
<聖書>ルカによる福音書20:9~19
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
このぶどう園のたとえに出る通り、イスラエルの多くの人々は、神が送ってくださった「独り子イエス・キリスト」を邪魔者扱いにし、十字架で殺しました。まさに大工が、不要な石を捨て去るごとくの扱いです。しかしその「捨てられたイエス」が、「イスラエルだけでなく、世界中のすべての人間を罪から救い出す、神のご計画を完成させる大切な石」として用いられたのです。
人間が罪のため、自我の高慢のために捨てたイエスが、その人間を「罪から救い出してくださる」のです。神のなさることはなんと深く、偉大なのかと思います。そして主イエスはその奇しい救いの計画をご存知でしたが、すべてを受け入れ、十字架上で「苦しみ」そして死んでくださったのです。その尊い犠牲を心に刻みましょう。
神を邪魔者扱いし、自分中心になる心はイスラエルの指導者たちだけでなく、人間誰にでもあります。受難節の今、その「自分の中にある高慢という罪」を見つめること、そして本来なら神の前で「罪の責任を問われなければいけない」そんな私の罪が、イエス・キリストの十字架の贖いの業によって「特別に赦されている」ことを覚えることが大切です。