「教会はどんな場所として誕生したのか」5/31 隅野徹牧師

  5月31説教 ・聖霊降臨節第1主日(ペンテコステ)礼拝
教会はどんな場所として誕生したのか
隅野徹牧師(日本基督教団 山口信愛教会)
聖書:使徒言行録2:37~42

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 今日は、キリスト教会の中で「三大行事」と呼ばれるものの一つ、ペンテコステです。ペンテコステは「教会を、神のみ旨のままに動かしている聖霊」の下った日で、教会の誕生日ともいえる日です。この日に、約一カ月ぶりに礼拝が再開できますことを、大変うれしく思います。

 今日与えられた聖書箇所は、聖霊が降り、最初の教会が誕生したことが記されている使徒言行録2章のうち最後に近い部分です。ここはペンテコステに神の霊である聖霊に導かれて誕生した教会という所が「どんな所として誕生したのか…」それが表れています。

 今回、教会が公に開かれなくなって「教会がどんな所なのか改めて考えた」という方も多いでしょう。「建物があるから教会」なのではありません。「集まって何をする群れとした教会は誕生した」のでしょうか? 教会の原点ともいえるこの箇所を深く味わいましょう。

 今回の箇所は37節からですが、その前はどのように展開しているのでしょうか。

(※基本的には先ほどのこどもメッセージで語った通りです)

 イエスが天に上げられたあと、心を一つにして祈っていた弟子たちの上に聖霊が降りました。聖霊に満たされた弟子たちは「神の偉大な業について」語りだしたのです。それを聞いていた人たちは最初「酔っぱらっているのだ」と馬鹿にしましたが、弟子たちは立ち上がり、ペテロは多くの人々に向けて説教をします。

 この説教の内容が記されているのが14節から36節までです。(※今朝はここを掘り下げませんが、ぜひお家でお読みください) 

 この説教の内容を見る時、「説教における聖霊の助け」というものを感じます。イスラエルの人々が十字架に付けて殺したあのイエスが神の送って下さった救い主であることを、旧約聖書を引用して、正確に伝えたのです。

 そして36節の結論をもって閉じられています。この36節新改訳の訳し方の方が本質を捉えていますのでそちらを紹介します。

 「ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」

 この言葉を聞いて、人々が悔い改めたところから「キリスト者の群である教会」は誕生したのです。この後、今朝の聖書箇所である37節以下を深く味わいたいと願います。

 まず37節です。 人々はこれを聞いてとある「これ」とは何かというと…その直前に語られた内容です。「神が救い主として立てられたイエスを、あなたがたは十字架につけた」という聖霊に満たされてペトロが語った言葉です。これに対して多くの人々の応答が37節の「わたしたちはどうしたらよいでしょうか」という言葉なのです。

 この人々の求めに対して、ペトロが教えた内容が38節、39節、40節です。

 ここでのペテロの教えは、神の霊である聖霊に導かれたものです。本当に大切な教えで「教会は何の目的でこの世に存在しているか」、その教会の存在意義ともいえる「根幹」が示されています。

 まず「神の前に悔い改めて、イエス・キリストを救い主として告白して罪を赦していただくこと」が教えられます。さらに罪を赦していただいたことのしるしとして「イエス・キリストの名によって洗礼を受けること」が勧められます。そうすれば「だれでも賜物として聖霊を受けることができる」と示されています。

 このようにして誕生した「教会」が授ける洗礼は、ただの水浴びでもなければパフォーマンスでもありません。イエスの名を告白する洗礼なのです。悔い改めて,イエスだけが「この自分を罪から救い出して下さる救い主なのです」と信仰を告白するなら聖霊が働き、「赦しのしるしとして」の洗礼になり、「新たな命の誕生」としての洗礼になるのです。

 こうして、神の子であるイエス御自身だけがお与えになることのできた罪への赦しの権威が、教会によって担われるようになったのです。教会は「イエス・キリストの名によって人々を罪からの救いに導き」「新しい命を生み出す場所」として誕生したのです。 

 私達山口信愛教会も日々悔い改め、イエスの救いを心から受け入れて、聖霊に満たされましょう。そうすることによって、人々を罪からの救いに導き、新しい命を生み出す場所であり続けたいと願います。

 続いて40節、41節です。

 「邪悪なこの時代から救われなさい」…という言葉が強烈に感じます。ここで何が語られているかというと、教会という場所が、この世に根差しているが、この世から清め別たれた場所だということなのです。そこに集う者が、自らの罪を悔い改めて神へと立ち返り、洗礼を受け、聖霊に導かれつつ共に歩む場所であり続ける…これが教会に対して主が望んでおられることです。

 41節に「3千人が仲間に加わった」とありますが、この3千人の多くはイスラエル人でエルサレムに住んでいた人たちだと考えられます。少し前までイエスを罵り、ペトロをはじめとする弟子たちを嘲っていた人々が、聖霊の力で真実をしり、悔い改め、イエスを救い主だと信じ受け入れて「生まれ変わった」のです。

 彼らは再び「邪悪の世の中」に戻りませんでした。イエス・キリストを受け入れた者同士が愛し合って共に生きる道を選んだのです。私達山口信愛教会も「この世の中に根差しつつ」、しかし!世の中にどっぷりと浸からずに「主に在って共に愛し合うこと」を願い求めましょう。

 最後に残った42節を読みます。ここには聖霊の導きにより誕生した初代の教会が大切にしたことが「4つ」出てきます。4つのことは「教会を神の臨在する教会として成り立たせている」と言えます。聖霊に満たされることは、熱く燃える力であるとともに、冷静に「本当に必要なことを見極める」力が与えられることでもあるのです。

 それでは42節をお読みします。

 ①一つ目の「初代教会が大切にしたこと」それは「使徒の教え」です。

 これは使徒たちによる「神の教え」で、具体的には聖書ならびに教会で語られる説教を指します。

 イエスは私の救い主だと信じ受け入れて、しるしとして洗礼を受ければそれで終わりなのではありません。教会は聖書の言葉が語り続けられる場所であり、聞き続ける場所であるということを初代教会の姿は現しています。私達もこの先「神の言葉が語られ続け、聞き続けられる」ことを守り抜きましょう。

 ②二つ目の「初代教会が大切にしたこと」それは「相互の交わり」、つまり「信徒同士の交わり」です。

 信徒同士が神にあって交流してこそ「教会だ」ということです。同じ牧師の説教を同時に聞いているから同じ教会員なのではないのです。今は教会での立ち話などができない状況であることをとても残念に思います。しかし、制限はある中でも工夫しましょう。電話や手紙などを今まで以上に用い、主にあって心と心を通わせ合いましょう。

 苦手な人、意見の合わない人は教会内に当然いることでしょう。それでも「受け入れ合うこと、許し合うこと」で、各教会はさらに大きく成長できるのです。今のこの時を「繋がりを絶つ時」ではなく「絆を深める時」にいたしましょう。

 ③三つ目の「初代教会が大切にしたこと」それは「パンを裂くこと」です。

 これは今の教会の「聖餐式」が当てはまります。 聖餐はイエス・キリストが私達を罪から救い出すために十字架の上で命をささげられ、血を流されたことを思い出すために行うものです。

 今朝は、再開初週ということもあり、聖餐そのものには与らず、聖餐を思い出す時としてこの後持たせていただきます。

 この決定に至るまでには、役員会での長い協議があったことをご理解いただければと思います。個人的には早くに、この聖餐式が元通り再開できることを望んでいます。しかしながら、この時に「聖餐式とは一体何か」を各々が考え直す良い機会になればと願っています。

 そして、「何となく聖餐を受ける」ではなく、教会員全員が一致して「心から聖餐を受けたい」と祈りつつ待ち望むことができるように、私も祈ります。

 ④最後の4つ目 「初代教会が大切にしたこと」それは「祈ること」です。

 これは個々で祈るというより、祈り合うとか祈りを合わせるという意味です。聖書はイザヤ書56章7節、ルカ19章46節などで「教会が祈りの家である」ということを教えています。

 私は今回のことを通して、「教会は祈りの家だ、多くの人が祈りをささげる場だ」と改めて思わされました。もちろん祈りは何処ででもできます。でも多くの人が共に祈ってこその山口信愛教会です。この世の「ただ人が集まる場」との一番の違いはそこではないでしょうか?

 今、社会ではソーシャルディスタンスということが盛んに言われます。もちろん人との距離は気を付けなければなりませんし、感染予防に細心の注意を払わねばなりません。山口信愛教会でも私語はできるだけ慎んでいただくように決まりました。しかし!祈り合うことを止めては絶対にいけないと私には示されます。

 今日の箇所の少し前の1章14節が示すように、熱心な祈り合いによって聖霊が降り、その聖霊に導かれ教会は誕生しました。この後の初代教会は迫害など試練がたくさん襲ってきましたが、その度に心を合わせて祈り合って成長した様子が聖書には記されていることを心に刻みましょう。

 このように今朝はペンテコステに誕生した教会が大切にしたことを見てまいりました。人間が考えたのではなく、神の霊である聖霊に導かれて「その後2000年に渡り教会が大切に守っていくこと」が形作られたのです。私達も教会の原点に目を向け、これらのものを大切に守ってまいりましょう。 (祈り・沈黙)

 

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