「涙はぬぐわれる」 <聖書>エレミヤ書31:15~17、マタイによる福音書2:13~23 福山隆一牧師(日本基督教団 小野田教会) ヘロデは主の降誕に際して2歳以下の男の子を虐殺する事件を起こしたのです。一つにはエレミヤ書の成就で、ラマとは捕囚期に苦い記憶の地名です。ラケルは幼くして我が子を亡くした後に授かった子にベニヤミン(「慰めを拒む」という意味)と命名し、慰めの言葉にさえ心を閉ざす深い悲しみを示すものです。ヘロデの追手から幼子イエスを連れてエジプトへ逃れ、「まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした。」(ホセア11:1)の預言が実現したのです。ヨセフの従順により幼子イエスは守られたのですが、エレミヤ書の続きに「泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる」とあります。ここに「救い」を見ます。 これ以降、イエスは、痛みと矛盾を負い、人の世の理不尽、深い罪業に晒され、その生涯において御心を実現されていくのです。そしてこの幼子たちの悲惨な死を自らが背負われたかのように、十字架を背負い、傷ついた身体で十字架に掛けられ、人の世の罪を贖われるための死を受けられるのです。 イエス・キリストの生涯と新しい命を共に「証」しましょう。共に泣き、痛みを覚え、贖いの小羊としてその生涯を全うされ、復活へと導かれる主イエス・キリストが共にいてくださるのです。 |